公開書簡とはいったい何だったんだろう。

私が公開書簡の閉鎖を求めているのに対して、該当ページはなくなってはいないので、無視されているということになるのでしょうか。しかしながら、当初見られた、私を名指しで批判する表現がなくなったため、順法的にはなっています。一方で、公開書簡は、一般の方にはよくわからないページになっています(この投稿の最後に引用)。

さて、該当ページがこのように私個人を特定しないようになったので、ここから先、私も先様も特定しないようにさせていただきます。ご了承ください。

私は、某通販業者の代表取締役名をハッキリと特定して公開書簡にもの申していますが、某通販業者からわたくしあてに正面からの反応はありませんでした。ツイッターを通じて、某代表取締役のツィートが、どの程度関係するのかわからないような他人ごとみたいな発言が散見され、また、投稿にたいしてのコメントはありましたが、宛名もないし、自分の名前もありませんでした。質問なのかそうでないのか、他人ごとみたいなコメントには、どのように応えたらいいのか往生しましたが、質問であるならば答えなければならないと思い、失礼のないように宛名をつけて返答はさせていただきました。

いまさらながら、しっかりとお互いの宛名を敬いあうこともなく、意見を伝え合うこともなかった、この公開書簡とはいったい何だったんだろうと思ってしまいます。これも含めてですが、少々述べさせていただくことにしました。

まず、前回の投稿で、郵送させていただいたとお伝えし、内容については頃合いを見てご紹介すると申し上げていた私からの内容証明書ですが、下記の通りでした。

通知書

貴社は、2014年8月に、私の運営するサイト「〇〇〇〇〇」に対して「偽Arduino業者への公開書簡」と題したサイトをインターネット上に作成し、あたかも私が偽Arduino業者であるかのように世界中に喧伝し続けて現在に至っております。
私の運営するサイト「〇〇〇〇〇」で「偽Arduino」販売をしておりませんので、非常に迷惑です。即刻に「偽Arduino業者への公開書簡」を閉鎖して下さい。

平成28年1月12日
△△△△
◇◇私の名◇◇

□□□□
某通販会社代表取締役 XXXX様

ここで、ざっくりと総括をめざして簡単に言えば、某社の行ったことは私に対する「ネットいじめ」となります。

わたくしは、このページにもの申した時点で、この「ネットいじめ」への対応を一つずつ、行うつもりでした。ちなみにwikipedia では以下のように「ネットいじめ」対処法が記されています。

ネットいじめに対する対策としては、刑事上・民事上の責任追及が考えられる。インターネットに書き込まれた時点で、公然性があり、例えば、刑法230条の名誉毀損罪の要件をみたす。名誉棄損罪は名誉の保護と言論の自由の保障の調和の観点より、原則真実を公表しても名誉毀損罪が成立し、230条の2で公共の利益のために真実摘示の必要性を認めたものであるが、政治家等は別として一般人が書き込まれたのであれば230条の2はまず問題とならない。名誉毀損罪は危険犯であり成立しやすいが、親告罪であるため書き込まれた本人の告訴が必要となる。告訴する際の証拠として、書き込まれたファイルを保存し、プリントアウトし日付順に並べて、書き込まれた内容・回数・サイト名が具体的にわかるようにするのも一つの方法である。他に侮辱罪・信用毀損罪・業務妨害罪・脅迫罪・迷惑防止条例などに該当することが考えられるが、この中には親告罪でないものもあるので、書き込まれた本人の告訴がなくても摘発可能なものもある。民事上の責任追及としては、民法710条に基づく損害賠償請求等がある。インターネットに書き込んだ方も起訴されれば、(弁護士・税理士等は登録できないなど)職を失うリスクを負っている。最近では、摘発される事例も増えてきている。[要出典]警視庁の電話相談窓口「ヤングテレホンコーナー」には、近年ネットによるいじめ相談が多くなっている。石川県では2007年1月22日にWEB巡視隊が発足した。

弁護士に頼らずとも、自分でできることをまずやっていくのはそれほど大変なことではありません。具体的には、まずプロバイダーへの該当ページ削除請求から始まりますが、警察には早い段階で相談に行くことになってしまいます。それについては、警察が簡単に動くことはないと思ってはいましたが、確信はもてませんでした。例えば、相談した時期と、ネットいじめで自殺者が出たりして、世間の話題になったりするタイミングが合うようなことで、万が一にも警察が動くということも考えられないこともなく、実にそこが問題でした。

冗談ではなく、将来がある某通販会社とその経営者に、万が一汚点がつくようなことになったら、それはわたくしにとって後悔することになるだろうと、実はとても心配していたのです。

ということで、まずは、警察沙汰にはしないようにしよう。これが一番の優先順位。それから、この会社がいじめをしないようにする。それから、損害賠償を請求するという順位でしょうか。ここ、誤解してもらいたくないのは金を請求するということではないですよ。悪いことをしたら謝る、これは当たり前のことです。若いからすべてが許されるということはありません。

そういったことでいえば、公開書簡ページが当初のものから変わって、警察沙汰がまずは回避されたようなので、とりあえずは一安心しています。

次に、いじめですが、いじめというのは、「よわいものがより弱いもの」に対して行うことです。実際には、いじめるものといじめられるのはどちらも弱者。ここから先は、わたくしの問題以上に、先様の問題でもあるということです。

そして、損害賠償。具体的には謝るということですが、これは難しいだろうな、期待はしていません。とはいえ、放棄したわけではありません。某通販会社が最初に私宛に送った内容証明書と、私が送った内容証明書がその事実を物語っています。

ということで、最後に現在の公開書簡のページを下記に引用しておきましょう。当初のページとこの現在のページ、かなり違っていますが、透かし合わせて見ると、製作者のこころのさまが映し出されてくるというところでしょうか。

最後ですが、すでに何度か言わせてもらっていますが、要(かなめ)の「警告書」が最初から自己崩壊しています。文法的に間違っているので、いくらページ回りを改ざんしても、ここは覆りません。
先方の「警告書」の商品名に「完全互換」とあるので内容証明書の最後で主張している「正規のArduino製品と信じて購入した一般顧客」はいないし、何よりも某通販会社自身、Arduino互換商品を扱っています。
互換商品を扱っている私が偽アルディーノ業者であると喧伝するのは、無理です。
先方様がそれでも追加し続けている登録商標についての詳しい説明ですが、残念ながら今回の公開書簡はそれ以前の文法にまず解決すべき問題があり、それを解決してもなお「ネットいじめ」の問題が残っているのです。

偽Arduino業者への公開書簡

このページには、偽Arduino(Arduino LLCやArduino Srl製ではないが、Arduinoのロゴが付いたArduino互換機)の写真を、販売ページに掲載していた事業者への公開書簡が掲載されていました。
Arduino商標の権利者に相談の上、内容証明郵便で警告書を送ったのですが、受取拒否で返送されてきたためです。
同時期に、他のArduino LLCやArduino Srl製ではないが、Arduinoのロゴが付いたArduino互換機の写真を商品ページに掲載している事業者さん達にも同様の警告書を送りました。多くの事業者さんには、「Arduino」の商標権を侵害しているということについて理解いただき、販売を取りやめていただきました。

警 告 書

貴社が●●●●●●●として販売する商品のArduin
o UNO R3 完全互換 MEGA328P ボード+専用
USBコード セットには、Arduinoの登録商標が
表示されていますが、この商品は正規のArduino製
品ではなく、また同商標の使用方法として許可された方法
でもありません。Arduino製品の設計データは第三
者による使用が許されていますが、同商標の表示は許され
ていません。貴社の行為は、Arduino製品の製造
元、私たち正規代理店の権利を侵害するだけでなく、商標
法に違反する犯罪行為です。貴社においては、直ちに当該
の商品の販売を停止し、在庫を破棄するとともに、これま
でに正規のArduino製品と信じて購入した一般顧客
の損害を回復するよう、強く申し入れます。

平成26年7月30日

□□□□
某通販会社代表取締役 XXXX様

その後、公開書簡の宛先となっていた事業者さんからもお返事をいただきました。特定の法人や個人の糾弾が目的ではありませんので、以前のページに含まれていた宛名など、事業者を特定できる情報を削除しました。

多くの誤解があるようですので、「偽Arduino」と「Arduino互換機」の違いや、関連知識を記しておきたいと思います。

  • Arduinoは、日本国内においてはArduino SRL社(イタリア)の登録商標です。
    これについて詳しくは、Arduinoの内部分裂についてに記してあります。
  • Arduinoの設計は公開されていて、誰でも製造販売することが許されています。しかし、それをArduinoと呼ぶ事、あるいはArduinoのロゴを表示する事は許されていません。
  • 互換品には、それが本物のArduinoだと誤解されないような名前をつける必要があります(一般論)。さもないと、商標権侵害になります。
    これらついて詳しくは、arduino logo trademark等を参照してください。

つまり、公開されているArduinoの設計を使うなどし、互換品を作れば互換機です。一方、許諾されていない状態で、それをArduinoと呼んだり、Arduinoのロゴを表示すれば、それは偽商品です。

次に、なぜ私たちが、Arduinoに代わり、Arduinoの権利を日本国内で主張しているのかを説明したいと思います。

私たちは、Arduinoや他のオープンソースハードウェアを輸入したり、開発・製造・販売をしている事業者ですが、ユーザーでもあります。もともと、スイッチサイエンスは、社長が自分でArduinoを買うついでに、他の人の分も共同で輸入するところからはじまりました。スイッチサイエンスは、オープンソースでご飯をいただいていますが、オープンソースを愛してもいます。

回路図やソースコードが公開されていると、様々な人がプロジェクトに参加してくれたり、ソースを見つつプロジェクトの成果物を利用してくれます。しかし一方で、ソースの公開は、開発コストをかけずにコピー製品を作るということを容易にしてしまいます。コピー製品のほうが開発コストがかかっていませんので、値段を下げて値段で勝負することが容易です。こうして、コピー製品が売れても開発者の手には報酬が渡りません。ユーザーにとっては安価に同じものを手に入れることができて短期的には幸せなのかもしれませんが、開発者にとって幸せなことでないのは明らかです。コピー商品が出回るということは、結果的にオープンソース界隈の衰退に繋がるのではないでしょうか。

こういった話よりも、偽Arduinoの良くないところはもっと明確です。さきほども記したように、「Arduinoの設計は公開されていて、誰でも製造販売することが許されています。しかし、それをArduinoと呼ぶ事、あるいはArduinoのロゴを表示する事は許されていません。」なぜ権利者の弁護士から上記の警告書が直接送られないのかと言えば、それは権利者にとってお金がかかる面倒なことだからです。

前の投稿へのコメントいただきました。ありがとうございます。

金本様

コメントありがとうございます。

結局、販売されている貴社がArduino互換機にはロゴが入ってるのでしょうか?入っていないのでしょうか?
入っているのであれば商標権の侵害ではないのでしょうか?
そこを明確にすれば良いのではないでしょうか

先日、金本様のツィッターでのツィートで感じたのは、私に対してのメッセージなのか、他のギャラリーに対してのコメントなのかよくわからなかったことです。ツィッター関連の書籍(ツイッター 140文字が世界を変える/コグレマサト+いしたにまさき著)をさらさらと読んでみたら、それがツィッターの距離感と書かれていました。

さて、今回の投稿への金本様のコメントですが、ツィッターと同じような距離感が感じられました。それが時代なんでしょうかね。わたくしは、古い人間なもので、どうしてもハッキリと対峙したいところですが、どうにも・・・、当事者は誰なのかと疑問に思ってしまいます。

とはいえ、コメントに素直に答えますと、ロゴは入っていません。というか、それが前提でなければ、これまでの話が通じないでしょう。

実は、今朝、スイッチサイエンス社金本様に電話をかけました。海外出張とのことで、先のコメントの距離感もそれが原因なのかななどと思ってもみました。旅先のお忙しい中でのコメント、重ねて御礼申し上げます。明日には帰国しているとのことでしたが、スイッチサイエンス社には来ないだろうというので、「電話番号などうかがえないですよね」と問いかけてみましたが、電話に出た方も、「私も知らないんですよ」ということでした。その方のアドバイスは「メールやツィッターでメッセージをいれてもらえれば」ということだったので、このように続けさせてもらうことにしました。

電話を入れた理由は他でもありません、こちらから内容証明書を差し上げる予定だったからです。先に「電話をするなり、手紙を書いてみるなりするのが一般的な作法ではないでしょうか」と言わせてもらったこともあり、電話を入れさせていただいたのです。文書を何度か通じてよりも、電話で話した方が速いことが多いと思いますしね。しかし、なかなか電話では連絡を取れないということだったので、メッセージの意味も含めて内容証明書を送付されていただきました。そういったことだったので、内容はできるだけ柔らかく配慮させていただきました。是非ご覧ください。頃合いを見計らって、ブログでも紹介させていただく予定です。

以上、取り急ぎ、コメントへのお答えまで。

2016/1/5付公開書簡の反論に過分にも反応してもらいました。公開書簡サイトの閉鎖をお願い申し上げます。

スイッチサイエンス社の社長釜本さまの誠実な人柄ゆえなのでしょうね。TWITTERでもたくさんつぶやいてもらいました。ありがとうございます。

さて、「偽Arduino「疑惑」問題について追記。1年半後に反論してもらえると思わなかったよ!」とのツィートがありましたが、まさにそこが問題なのです。

誤解してもらいたくないのですが、スイッチサイエンス社にも社長釜本さまにも、今後ますますのご発展を祈念するもので、恨みとそんなものは全くありません。反論もできればしたくなかったのです。しかしながら、私を一方的に「偽アルディーノ業者」と決めつける公開書簡には、非常に迷惑しております。即刻にサイトを閉鎖するようここにはっきりとお願いもうしあげます。

いまでもわからないのは、配達証明書で送付された警告文が、何を目的としていたかなのです。警告文を読む限り、そのほとんどが達成されていた、つまり「 当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。」というようにロゴのある写真をすでに掲載していない。そもそも警告文にも書かれているとおり「Arduino UNO R3 完全互換 MEGA328P ボード+専用USBコード セット」を販売していたわけですから、「これまでに正規のArduino製品と信じて購入した一般顧客」は一人もおらず、損害を訴えた人もいないわけです。つまり、釜本様が「損害を回復するよう、強く申し入れ」ることなど元々必要なかったわけです。

そういう状態であるにも関わらず、「偽Arduino業者への公開書簡」として私宛のものがインターネット上に公開され続けていた。これは、明らかに意味のないことですので、公開書簡サイトの閉鎖をお願いしているわけです。

実は、お願いするまでもなく、いつかはなくなるだろうと思っていました。なぜなら、この公開書簡は、スイッチサイエンス社にも社長釜本さまにもあまり益を与えるようなものではなかったからです。むしろ、害があるといった方がよいでしょう。そういった公開書簡をいつまでも晒しておくことなどあり得ないとおもっていたのです。

私から見ても、スイッチサイエンス社も社長釜本さまにも、今後ますますのご発展が見込まれます。上場の話もでてくるでしょうし、スティーブ・ジョブスも抜く大経営者になることも決して夢ではありません。そこにこの公開書簡は、あまり絵にはならない、むしろ醜悪な一文になるおそれがあると言えるでしょう。また、この公開書簡のサイトを読む限り、私を「偽アルディーノ業者」と呼ぶには無理があります。名誉棄損になるなどは思ってもいなかったのでしょうが、再考を勧めます。私としても、非常に迷惑していることをお伝えします。

また、今後も発展をしてゆくべきスイッチサイエンス社が、「偽アルディーノ業者」相手に論理が破綻している文書をインターネット上に曝し続けているというのは、絵にはなりません。 今現在は違っていても、将来この文書を精査するのは、公認会計士や弁護士などの方々です。そういった専門家にこの文書はどう映るか、そこのところをよく考えてください。

翻って、私にとってこの公開文書はどうなのかというと、どちらかといえば釜本さまほどの痛手にはならないと思います。ここのところは深くは語りませんが、聡明な釜本様なら十分に理解してくれることでしょう。

もう一度いいますが、反論はしたくない。するつもりもなかった。これからもするつもりはない。そして、意味のない公開書簡は即刻閉鎖しましょう。これは双方の為なのです。

例えば、現在の公開書簡サイトの運営についてですが、公開書簡のサイトで「上記のリンクのうち、web.archive.orgへのリンクが切れている可能性があります。 現在の商品ページはこれです。」の部分は、「その後」に持っていくべきでしょう。でなければ、公開書簡が任意に訂正できるということになります。

同じように「偽Arduino業者への公開書簡/(改行)1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。」の部分が「2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。商品名は「Arduino完全互換…」となっていて、グレーだけど必ずしも商標権侵害ではない。商品写真に写った製品には、Arduinoロゴが表示されているが、これは本物のArduinoではない。この写真を商品として掲載していること、またこの購入するとこの見た目の商品が届くのであればそのことが、商標権の侵害です。」と大幅に改変されていましたが、これも「その後」にもっていくべきものでしょう。

また、先ほどは論点がずれるのではと言及しませんでしたが、「偽Arduino「疑惑」問題について追記。1年半後に反論してもらえると思わなかったよ!」とのツィートですが、この問題に「疑惑」がいつの間にかつくようになっていましたね。「疑惑」の段階で「偽Arduino業者への公開書簡」が晒されたということになるのでしょうか。先ほどの改変された「グレーだけど必ずしも商標権侵害ではない」と一歩下がったような表現とともに、慎重な言葉遣いを要求したいところです。

後だしジャンケンではありませんが、こういう改変、加筆や追加が続きますと、ますますサイト並びに釜本様の信頼性は失われていくのではないでしょうか。

「その後」を追加してまで、言いたいことがあるのは分ります。しかし、警告書よりも長くなるのはこのサイト「偽アルディーノ業者への公開書簡」の価値をさらに下げてしまうことになるのではないでしょうか。多くを語れば、多くの突っ込みを相手に与えることにもなります。そして、何よりも大事なのは、公開書簡を観る方々がどのような感想を持つかなのです。日本人の心証としては、後だしじゃんけんをしたり、多くを語る人はあまり好まれないように思います。そのようにしてまで公開書簡を延命する必要はないと思いますがいかがでしょう。

私としても、一方的に「偽アルディーノ業者」と決めつける公開書簡には、非常に迷惑しておりますので、即刻にサイトを閉鎖するよう改めてお願いもうしあげます。

わたくしあてに公開書簡がインターネット上で公開されているのだが・・・。

株式会社スイッチサイエンス 代表取締役 金本茂氏のインターネット上公開書簡にもの申すものです。

文科系出身ですので、理科系は大の苦手、でも、子供のころは、鉄腕アトムのお茶の水博士に憧れておりました。ということで、数年前から、子供のころに憧れていた、電子部品を扱って商いをしています。とはいえ、個人で、判る範囲で、やってみようというのがモットーにしています。だから、売り上げは細々としたものですが、お客様とのやり取りを楽しみながらやっています。

そんなわたくしに、インターネット上で公開書簡が公開されています。ずいぶん前に気が付いていたのですが、わかる人が見れば、簡単にわかる失礼で非礼な書簡ですので、そのままにしておいたのですが、電子工作に興味があるお子さんなどもみることになるだろうと思い、指摘すべきところは指摘しておこうと思いなおしました。

まず、「偽Arduino業者への公開書簡」として公開されているのですが、人を「偽Arduino業者」と一方的に決めつけるのはどうでしょうか。
公開書簡に私が販売しているのは「Arduino UNO R3 完全互換 MEGA328P ボード+専用USBコード セット」とされていますように、正規のArduinoを販売しているわけではなく「完全互換品を販売」しているわけですから、まったく問題がないのです。事実、この公開書簡にも「Arduino製品の設計データは第三者による使用が許されています」とはっきりと書かれております。
また、人を「業者」と呼ぶのは何でしょうか、あまりいい言葉の使い方だとは思いません。『通常どこでも使われる言葉なのでふつうに受け止めている人は多いと思いますが、ただ、ニュアンス的には何となく取引先を見下したような感じがありませんか。』とあるブログに書かれておりました。その通りだと思います。

ということで「偽Arduino業者への公開書簡」は「Arduino互換商品販売者への公開書簡」と書くべきだと思いますが、いかがでしょうか。そうして、「Arduino互換商品販売者への公開書簡」という観点で再度見直すと、なんとも問題が実はあまりないということに気が付くようになると思います。

さて、表題「偽Arduino業者への公開書簡」の下に箇条書きで以下のように書かれております。

1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。
2.2014年7月30日、 内容証明を送った。
3.2014年8月4日、受取拒否で返送されてきた。
4.当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。

これは、事のありさまを時系列に書き並べたものなのでしょう。

まず、「1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。」といってリンクが貼られているのですが、これは間違いです。偽のArduinoではなく、本物のArduinoの写真です。
私は、まずは日本でArduinoを購入していろいろと遊んでみました。写真はその時のものですから偽物ではありません。その後、Arduinoのロゴのない写真を掲載しております。

続いて「2.2014年7月30日、 内容証明を送った。」とのことですが、これは嘘です。こういう公開書簡に嘘を書くのはいかがなものでしょうか。それこそ「偽物業者」になるのではないでしょうか。
わたくしが受け取り拒否をしたのは、内容証明ではなく、配達証明書つきの郵便です。この、配達証明書付きの郵便は法的なものというより、威嚇的に利用されるもので、だいたいろくなものではありません。そういったことなので、素直に受け取り拒否をしたわけです。

また、「4.当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。」となっておりますが、私は配達証明書付きの郵便を受け取ったわけでないので、どのような内容であるのか全く分かりませんでした。内容が分かったのはインターネット上の「公開書簡」でです。そして、いうまでもありませんがロゴのない写真をどうこう言われる理由は全くありません。「USBケーブルでロゴを隠している。」との言い方も失礼ですが、要はロゴのない写真にさえ文句をつけているわけです。実に偉い方だと思います。

「仕方がないので、公開書簡を送るしだいです。」と言っていますが、それも嘘で、仕方はいろいろあります。そもそも、いきなり配達証明で警告書を送るのはいかがなものでしょうか。販売サイトには連絡先、住所と電話番号が公開されているわけですから、電話をするなり、手紙を書いてみるなりするのが一般的な作法ではないでしょうか。そういったことを省いて、いきなり「警告書」を配達証明書付きで郵送し、あげくにインターネット上で人を批判するのはまったくもって非礼としか言いようがありません。

そもそも「株式会社スイッチサイエンス」の販売サイト上にも、ARDUINO互換商品は売られています。自分は良くて、私がダメというのは、どういう根拠なのでしょうか、まったくわかりません。

さて、改めて申し述べれば、公開書簡ですが、嘘が多すぎます。公開書簡ということでしたら、配達証明書付き内容証明書を送付したうえ、その内容を素直に公開すべきでしょう。

最後の最後ですが、人に向かって殿をつけるのはいかがでしょうか。日本語がわかっていないのでしょうね。参考までヤフー知恵袋を見ていただきたいものです。

ということで、参考までに公開書簡のコピーを下記に記載しておきます。私の指摘を胸に、公開書簡を再度みていただければ、内容が非礼かつ不正確であることに加え、まったく根拠のない書簡であることがわかります。子細についてはこれ以上は指摘しません。金本茂さんの今後ますますのご精進を祈念するものです。

*************記*********************

偽Arduino業者への公開書簡
1.2014年7月下旬、 こういう偽Arduinoが売られていた。
2.2014年7月30日、 内容証明を送った。
3.2014年8月4日、受取拒否で返送されてきた。
4.当該商品ページがこう変わった。USBケーブルでロゴを隠している。
仕方がないので、公開書簡を送るしだいです。

警 告 書

貴社が文化雑貨倉中屋として販売する商品のArduin
o UNO R3 完全互換 MEGA328P ボード+専用
USBコード セットには、Arduinoの登録商標が
表示されていますが、この商品は正規のArduino製
品ではなく、また同商標の使用方法として許可された方法
でもありません。Arduino製品の設計データは第三
者による使用が許されていますが、同商標の表示は許され
ていません。貴社の行為は、Arduino製品の製造
元、私たち正規代理店の権利を侵害するだけでなく、商標
法に違反する犯罪行為です。貴社においては、直ちに当該
の商品の販売を停止し、在庫を破棄するとともに、これま
でに正規のArduino製品と信じて購入した一般顧客
の損害を回復するよう、強く申し入れます。

平成26年7月30日

東京都新宿区箪笥町35
株式会社スイッチサイエンス 代表取締役 金本茂

宮城県仙台市太白区茂庭台4-3-8-501
文化雑貨倉中屋 店主 倉中 殿

「往生要集」の著者、源信のターミナル・ケアは進んでいたらしい

60歳を過ぎたということも有り、最近は死に方について考えることが多くなったような気がする。昔は気にもしていなかった浄土宗や浄土真宗の西方浄土の話なんかに惹かれるようにもなってきた。何か月か前に読んだ本で、浄土教の基礎を築いた源信なんかは、かなり進んだターミナルケアをしていて、近親者のターミナルケアは、死に行くものが現世に執着をもつようになるので、近親者以外の看護が望ましいような教えしていたらしい。

そのあたりを読み直してみようと、今日は時間をかけて本棚を弄っていたのだが、目的の書物が見つからなかった。確か、寝たきり老人や、植物人間とのコミュニケーションについて語っていた本だと思ったのだが、題名も忘れているのだからしようがない。いずれ、時期が来たら現れるのだろうと思うことにした。

代わりと言ってはなんだが、生、死、神秘体験―立花隆対話篇に浄土教についての似たような記述があるのに気づいた。なかなか面白かったので、ご紹介。

臨死体験が語るもの

立花 今度、「文藝春秋」に三年近く連載した「臨死体験」という作品が完結するんですが、これはおそらく、僕がこれまで書いてきたものの中で、いちばん読者の関心が高かったように思うんです。僕自身、そのあまりの反響の大きさに、ややとまどっているといった状況なんですね。

臨死体験へのそういった関心の深さというのは、人がやはり死というものをいろいろな意味でかなり強く意識している.そういう時代背景があるんじゃないでしょうか。一つには世紀末ということもあるだろうし、高度医療化時代を迎えて、脳死間題、尊厳死問題、ガンの告知問題などを通じて、みんないやおうなしに死の問題を考えざるをえなくなったということもあるだろう。あるいは環境聞題で、地球の死というような終末論的状況を考え蔽ければならなくなったということもある。

先生には取材の段階で平安末期の浄土信仰や「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」という念仏結社について教えていただきましたが、あの時代がやはり、末法思想という一種の終末論が流行った時代ですね。

山折 そうです。

立花 ちょうど社会体制も平安から鎌倉へと移行する大転換期で、社会経済的にも、いろんな混乱があり、やはり人が死というものを強烈に意識せざるをえない状況があった。その中で、死んだらどうなるのか、死んだあと、極楽浄土へ行くにはどうすればいいのかという関心が非常に高まったわけですね。

山折 そうです。日本では死後の世界の概念がつくられていくうえでは、やはり浄土教の影響が大きかった。この浄土教というのは、もちろん元はインド仏教の一派なんですが、とくに人間の死後の運命、人は死んでのち、どこに「往生」するかということについて考察をめぐらせた一派です。その浄土教が日本の民衆のあいだに浸透していった時期が、だいたい平安の中期から末期.『源氏物語』が書かれた時期になります。そのころ、比叡山に源信(九四二~一〇一七年)という僧が出て、『往生要集』という本を書き、日本の浄土教の基礎を築いた。これはいわば死のためのテキストで、地獄や極楽のイメージ、極楽往生のために行なうべき信仰生活について詳しく説いたものです。一般の人々にも広く読まれ、その後の日本人の地獄観、極楽観の形成に決定的な影響を与えています。

この本を書いたあと、源信は実際に念仏結社をつくって、極楽往生のための実験を行なうわけです。同志たちと毎月一五日の満月の日に集まって、徹夜で念仏を唱えた。この結社には、二五人の人間が集まったので「二十五三昧会」という名がつきました。
彼らはメンバーの中の誰かが病気になって死を迎える段階になると、その病人を「往生院」という特別の部屋に入れてやる。そして仲間のうち二人がつきっきりになって、二四時間体制でいっさいの世話をした。いまでいうホスピスのようなことをやったわけです。

立花 それで、死んでいく人が本当に浄土へ行けるのかどうかを確かめるために、病人の耳に口をつけて「いま何が見える?」と聞いたりしたわけですね。そしてその人物が見た最後のビジョンを記録した。

山折 そうです。その記録はかなり残されていて、それを読むと「真っ暗闇だ」と答えている人がいるわけです。「地獄の業火みたいなもの述身に迫ってきて苦しい」と言っている人もいる。しかし、中にはやはり「極楽が見えている」とか、「阿弥陀如来が自分に近づいてきている」とか、今日言うところの臨死体験的なイメージを見ている人がいるんですね。

立花 そういう記録からみると、やはり臨終の床で、ほとんどの人はそういうビジョンを見るということが言えるんでしょうか。

山折 というより、彼らのは念仏結社ですから日常的な修行をやっているわけです。その修行の最終的な目標は、死ぬときにいいイメージを見て死にたいということだった。そのための修行であり、その修行に成功した人はいいビジョンを見ることができるということだったわけです。
それは二十五三味会だけでなく、同時代のほかの修行者たちも同じです。死ぬときに良きビジョン、つまり極楽のイメージを見て死ぬためには、それ相応の身体訓練をしなければならないという自覚があった。それで、お経を読んだり、山を歩いたり、写経をしたり、禅を組んだり、いろいろなことをやる.そして、いよいよ自分の寿命が尽きた、あと一カ月かニカ月で息を引き取るかもしれないということを悟ると、穀断ちをする。五穀を断って木の根・木の実のみを食べる木食を行なって、白分の体を枯れ木のような状態にしていく。そして、もうあと一日かそれぐらいで命が尽きるというときに、完全断食の状態に入っていくわけです。
そうすると、人間の生理というのは非常におもしろいもので、無限に死の状態に近づいたところで、ある種の生命力の反発のようなものが起こるのか、ビジョンを見る。そのビジョンの多くが「阿弥陀如来が現われてきた」とか、あるいは「極楽が現われてきた」というものです。そして翌日息を引き取る。つまり生命の限界ギリギリのところでそういう現象が起きることを彼らは経験的に知っていたということですね。

立花 その時代の人たちは、そのイメージというか、ビジョンというものを、どう考えていたわけですか。そこで見ているものは単なる視覚体験ではなくて、本当に浄土世界そのものである、つまり人が死んだあとの世界そのものを自分は見ているんだという意識があったわけですか。

山折 この世からあの世へしだいに近づいていって、そして浄土のビジョンを見たのだという確信を持っていたでしょうね。

立花 断食鞍どを経て、自分を枯らして死んでいくというやり方は、空海の入定もほとんど同じですよね。それから、時代が違うけれども、東北の出羽三山で断食してミイラになっていった僧侶たちも方法的には同じですね。

山折 そうです。

立花 そういったケースは知られている以外にも前からあって、その過程でそういうビジョンを見た経験の伝統が極楽浄土のイメージをつくっていったということがあるんでしょうか。

山折 いまおっしゃった出羽三山の即身仏のように、土に穴を掘ってそこに入って断食をする土中入定というやり方のほかに、薪を積んだ上に自分が乗って、自分で火を付けて焼くという、火葬の模倣のようなやり方もありました。それから、水中に身を投げて死ぬという水中入定みたいなものなど、いわば異常な状況をつくってその中で往生=死を迎えるというやり方は昔からずいぶんあったと思います。中国にもそういう例はたくさんあります。

立花 修行者たちがそこまで過激なことをするというのは、それが本当に極楽往生につながるという確信がないと、とてもできることではないですよね。そういう確信はどこからきているのか。たとえば土の中に入ってミイラになったお坊さんが、中で自分がどういう状態にあるかを外の人に伝えたというような記録はあるんですか。

山折 それは本人というより、最期を見届けた人々の記録が主です。死んでいく人が直接生き残った人に伝えた例というのは、さきほどの「二十五三昧会」ぐらいだと思います。秘伝の形で口から口へ伝えられた話はたくさんあるだろうとは思いますけれども。

立花 日本の古い文献を読んでみますと、臨死体験の記録というのは昔からずいぶんたくさんあるんですね。

山折あります。

立花 日本だけじゃなくて、外国の文献にも、たとえばプラトンの国家篇なんかにもちゃんとある。ああいうものを読んでいくと、臨死体験というのは、世界のいろいろな宗教の原体験として昔から、非常に大きな意味を持っていたのではないかという気がします。死にかけて生き返った人というのはいつの時代にも必ずいるわけで、彼らは白分の体験を現実のものとして人に語る。それがあの世のイメージをつくり、また、それを含んだコスモロジーというか、世界解釈をつくり、それが宗教を成立させていった。つまり宗教の原体験の一つとして、臨死体験は人類文化において非常に重要な意味を持っていたんじゃないかという気がします。
以前、取材でもうかがったんですが、先生ご白身が、やはり死にかけたときに臨死体験に近いものを経験なさってますよね。そのときの体験と、それが精神に与えたインパクトというか、世界観の変化というものを教えていただけますか。

山折 私自身の体験は、はたしてそれが臨死体験であるかという間題もあるんですが、それはひとまずおくとして、私は学生時代に十二指腸潰瘍をやって胃袋を三分の二、切っているんです。それから一〇年ぐらいたって、学生諸君と酒を飲んでいたときに、突然、大吐血をして、意識を失いました。バケツ半分ぐらいの血を吐いたと思います。
その意識を失う瞬間に、眼前に五色のテープをふき流したようなイメージが現われたんです。相当血を吐きましたし下血もしましたから、生命力がかなり衰えている状態でのことで
す。五色のテープをふき流したようなイメージの中で、白分の体全体がフワッと浮遊した感じがした。それが非常に快かったというか、気持ちがよかった。何か大きなものに吸い取られていく、そういう感じがあったんですね。
これはあとから思い出したことなんですけれども、「まあ、このまま死んでいくならそれでもいいか。これはなかなか悪くないな」ということを、非常に短い時間だったと思いますが感じておりますね。

立花 そのフワッとした感じの中で。

山折 そうです。何かに吸い込まれていくような心地よい感じの中でです。私の場合は臨死体験といっても、それがすべてでして、気がついたら病院で横たわっていました。その後三カ月間、入院したんですが、点滴をしながら一〇日間ぐらい絶食をしました。すると三日目、四日目あたりまではものすごい飢餓感に悩まされたのに、不思議なことに、五日目、六日目になると、気持ちが非常に澄んでくる。五感鑓非常に鋭敏になってくるし、体全体が軽やかに感じるんです。

立花 それは一種の断食体験に近いことなんでしょうね。

山折 そうです。それでベッドの上で、なぜこんなに自分の生理が変化したのかと思っていたところ、フッと思い浮かんだのが、さきほど言いました「二十五三昧会」という、平安末期の念仏結社の人々の体験だったわけです。彼らはなぜ修行の最後の段階で断食なんていうことをやったのか。それはやはり最後の最後に死を乗り越えるためのイメージが欲しかったからではないか。
それを自らの体験と重ね合わせたときに、人間というのはひょっとすると、生命が非常に衰えたとき、危機的な状況に追い込まれたときに、ある生命の反逆作用が起こって、超日常的なイメージを眼前にする。そういう現象が起こるのではないか。そう思いまして.私の人間に対する考え方とか、大きなごとを言えば、世界観がガラッと変わったわけです。自分自身の肉体がまさに研究対象になるといったらいいんでしょうか、そういうことを実感しました。

立花 そのときまでは「死んだらどうなる」と思っていたんですか。いっさい無だと思っていたんですか。

山折 それまでは無神論者ですよ。観念的な無神諭者というのかな。死は無に帰することであるという近代ヨーロッパの考え方を受け入れていたと思いまずね。ただ、いまから思うと、それはやはり首から上の知識だったような気がしますけれど。

立花 それがその体験を機に、考えが変わるわけですか。

山折 ええ。それまで私は、死後のことを積極的に否定していたわけです。実在するかしないかということで言えば、とても実在するとは思えなかった。しかしその体験があってからは、確かに証明はできないかもしれないけれども、たとえフィクションとしても死後の世界というものを考えたほうが、人閻の生き方というのは豊かになるのではないか。そういうふうに感じるようになりました。 (32ページ~39ページ)