わが亡きあとに洪水はきたれ!

5月 16th, 2012
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先ほど、就寝前の歯磨きをしていたら、ひょっこりと輪廻転生が頭に浮かびました。輪廻があるのかどうなのかは?ではありますが、輪廻転生を信じる方が世界にはやさしいような気がします。ならば、信じてもよいのかななどと考えておりました。

輪廻転生がないと「わが亡きあとに洪水はきたれ」という言葉が重くなってくるなあということが、次に脳裏に去来しました。

このフレーズは、わが亡きあとに洪水はきたれ!―ルポルタージュ 巨大企業と労働者 (ちくま文庫)で知ったものです。フレーズの由来については、日本共産党の宮本たけしさんのブログに詳しく掲載されていて勉強になりました。『あとは野となれ山となれ』という意味だそうですが、その説明部分のみ参考までに下記に掲載させていただきます。

「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」とポンパドゥール侯爵夫人

この間、志位さんがサンデープロジェクトで紹介してから口の端にのぼるようになった「資本論」でマルクスが引用した言葉「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」…この言葉が出てくるのは「資本論」第一部(1巻)第三篇第八章の「労働日」。第五節の「標準労働日獲得のための闘争。14世紀中葉から17世紀末までの労働日延長のための強制法」の中ほどに出てきます。(社会科学研究所監修、資本論翻訳委員会訳、新日本新書版なら、第2分冊、P.464)

次のように出てきます。「どんな株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないということは誰でも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め安全な場所に運んだ後で、隣人の頭に雷が命中することをだれもが望むのである。“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」

ただしマルクスはすぐその後で「しかし、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通させるのである」と、付け加えるのを忘れませんでした。つまり「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」というのは、資本家の性格が性悪だからそうなるといったものではなく、逆に、資本主義的生産の内的な法則性が競争を通じて資本家にそういった行動を取らせるのだというわけです。

さて、そこでこの「大洪水よ…」ですが、「資本論」の注釈には「宮廷の奢侈が財政破滅を招くと忠告されたときに、フランスのルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人がノアの洪水伝説にちなんで言った言葉の言い換え。デュ・オセ夫人『回想録』、序文、19ページ。『あとは野となれ山となれ』の意」とあります。

・・・以下略・・・

これが、死んでも生まれ変わるということになると「野となれ山となった」ところでまた生きていかなければならないわけですから、そうもいかないなあなどと考えることになるかもしれませんね。輪廻説は地球にやさしい考えなのかもしれません。

私の学生時代、マルクスは反体制の必需品で、反資本主義の先鋒でもありました。しかし、今になって思うに資本主義の対極にあるのではなく、資本主義の裏側にあったのではないかと思います。表に対する裏。表裏一体という言葉があるように、マルクスは資本主義を超えるものではなく、まさに資本主義そのものを語っていたのだなあとおもうのです。そして、その番い(つがい)の部分こそ、この「輪廻転生」にあるのではないかと思っているのです。

フランスのルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人のこのせりふで、記憶がよみがえるのが頭脳警察の「さよなら世界夫人」です。ユーチューブでは、http://youtu.be/Ao6Yyz6nEYoで聴くことができます。これは、ただ単に私が関連付けて記憶しているだけで、実際にはなんの関連もありません。学生時代に周りでやたらとヒットしていたような気がします。曲も詩もよく思われ、たまに無性に聴きたくなる時があります。私の中では、プロコルハルムの「青い影」と同じ位置にある楽曲ですね。ユーチューブでは、http://www.youtube.com/watch?v=buSzOh84QX4で聴くことができます。

どちらも、詩がよくわかりません。

 

仏教, 輪廻転生, 音楽

逆境においては「必ずうまくいくようになる」と信じるしかない

4月 25th, 2012
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昨今、景気は絶不調。先日、商売をしている友人のグチを聞いておりました。曰く、何年も一生懸命頑張っているのだが結果がでない。このままでは潰れるかもしれない。移転しようと思うのだが・・・。商売替えも考えている・・・。まぁ、そんな内容だ。

友人のグチはよくわかるが、どんな商売でも良いときばかりではない。景気のいいときと言うのはほんの一時で、むしろ悪いときの方ばかりといってもよいかもしれない。それでも耐えて、忍んで、良いときが来るのをじっと待つ。頭では理解していても、それでもグチをこぼしたくなるときがある。

そんなとき、ふと魔が差して、あまりの景気の悪さに、勝負に出ようと思うときは確かにある。しかしながら調子の良いときの勝負は勝てるが、起死回生の勝負は負ける。一発逆転の勝利などというものはない。時に一発逆転の勝利と見えるものはあるが、子細に分析すれば、やはり絶え間ない努力が見えないところに潜んでいるものなのだ。忘れかけた、忘れそうな、勝利の時を胸に秘めて、商売人は耐えなければならない。

友人のグチに相づちをいれつつ、それとなく、そんなことを諭しながら、グチを聞いておりました。諭したことなどは向こうも先刻承知のことだったでしょう。とはいえ、やはり、ていねいに諭しておかなければいつ魔がさすとも限りません。これは、友人として、また失敗した人間としては義務ともいえるでしょう。

そんな電話のあった翌日の朝刊。膝を打った記事を見つけましたので、以下にご紹介。

「結果残す」覚悟貫く 香川真司のアタマの中(下)

2012/4/25 6:50

「あのころは追い詰められていた」と香川真司は振り返る。「というより、自分で追い詰めていたのかもしれない。そういう性格なので」

昨年8月開幕の今シーズン序盤、ドルトムントも香川自身ももがき苦しんでいた。攻めの起点になっていたMFシャヒンが去り、得点源のFWバリオスが故障。中盤の底からくさびのパスがタイミング良く香川に入らなくなり、前線での軽妙な細工も減った。

最初の6戦は2勝1分け3敗。新加入のMFギュンドガンら周囲の選手も苦悩していた。「核となる選手が抜けて、チームとしてさまよっていた感じがする」という。

しかも本人の状態がなかなか上がらなかった。昨年1月のアジアカップで右足小指を骨折し、5月中旬まで戦線を離脱。影響は大きかった。

そんな中、日本代表として毎月、欧州とアジアを行き来した。開幕直後の8月10日、日本での韓国戦で2点を奪ったものの、ドイツに戻ると体のキレが悪くなっていた。「そういう状態が続いて、精神的にも疲労した」。10月には2試合続けて出番を失っている。

■逆境を乗り越えた1年

追い詰められていたというのは、このころのことだ。「でも、投げ出すわけにはいきませんからね」。結局、逆境においては「必ずうまくいくようになると信じるしかない」と話す。コンディションや連係の問題はたいてい時間が解決してくれる。カギはその間、強い気持ちを保っていられるかどうかなのだろう。

香川にはそれができた。クロップ監督が率いるドルトムントにはそれができた。苦悩が溶け、いい感覚を取り戻したのは12月に入ってかららしい。「チームとしても個人としても、攻守にわたって積極的に前にいけるようになった。こぼれ球を拾い、前半からボールを支配して相手に何もさせない。特にホームではそれができた」

何か転機があったわけではないと強調する。ボタンを一つ押せば、すべてが劇的に変わるなどということはないのだ。チームも香川自身も指針をぐらつかせず、辛抱強く自分たちのサッカーを継続してきたからこそ、歯車が合ったのだ。

今年の4月に入り、ビッグネームがそろう2位バイエルン・ミュンヘン、最大のライバルである3位シャルケを破った連勝で優勝をほぼ決定づけた。その終盤戦、言い聞かせていたのは「いつも通り」ということだ。

■「点を取った者が一番」

私生活においても、いつものリズムを保つことに努めている。「試合に向けて徐々に集中力を高めていく。でもピリピリした雰囲気をつくるのではない」。むしろ、厳しく管理はしない。

「仲間と食事に行ったり、ゆっくり寝たり、ボーッとしたり。この時間は何をしなければいけないとか、時間だから寝なければいけないというふうにはしない。思うままに動く」

それができているときは、心身がいい状態にあるときなのだ。ピッチに立てば、最高の集中力でゴールを陥れることに心血を注ぐ。「点を取った者が一番」という信念を持って走る。結果を残し続けなければ、退場を余儀なくされる世界にいることを肝に銘じている。

「この舞台で結果を残すんだという覚悟、強い気持ちがないと生き残っていけない」。1年目の昨季はドイツ人に鮮烈な印象を残したが、ケガで後半戦を棒に振った。今季は1年を通じてチームの核として働いた。

香川にボールが収まれば何かが起きる。そのとき、ホームの8万人の観衆の胸が騒ぐ。巨大スタジアムが揺れる。

(ドルトムント〈ドイツ〉=吉田誠一)

膝を打った箇所は「逆境においては「必ずうまくいくようになると信じるしかない」と話す。コンディションや連係の問題はたいてい時間が解決してくれる。カギはその間、強い気持ちを保っていられるかどうかなのだ」の部分だ。 「ボタンを一つ押せば、すべてが劇的に変わるなどということはないのだしかし、どんなに長い夜でもいつかは明ける時がくる。信じて待てば、夜は明けるのだ。

合理的であるとか、ロジカルであるということは大事だが、それも信じることあってのこと。では何を信じるのかというと、それは志だろう。志を意識して、意志。念ずるとか、信じるということには無縁そうな若者にみえるが、香川氏の志は深そうだ。上記の記事に先立つ(上)の記事を以下にご紹介。

パス磨き、常に進化 香川真司のアタマの中(上)

ナチュラルにいこうということなのかもしれない。「試合になったら余計なことは考えない」と香川真司(23)はいう。

「どういう試合になるというイメージは持たないようにしている。相手はこうくるだろう、だからこう動こうというイメージを試合前に持つと、体がそれに縛られてしまう」。だから、「無心になる」のだという。「ボールと相手とピッチだけを見て集中する」

また、こうも表現する。「試合になったら本能に任せていますから」。面白いことに、それが理にかなった動きになっている。いいフットボーラーとはそういうものなのだろう。自然な動きで相手の急所を突く。

香川の動きを追うと、いいプレーとはいい準備の連続で成り立っていることがわかる。準備、準備、準備……と間を置かずに次のプレーの準備をすみやかにしていくのだ。動きながら、つまり相手と駆け引きをしながら、なるべく前向きでパスを受けられる状態をつくり続ける。

■プレーの選択肢が増える

ごく狭いスペースでも平気でパスを受ける。しかも今季は、そこから次の一手を相手につぶされたとき、または味方とのタイミングが合わないときに、いくらでも別の手をスムーズに出せるようになった。

「ボールを持ったときのプレーの選択肢が増えているのを感じる。そこが今季の僕の評価できる点だと思う。スルーパスの精度も上がった」

実はそれは、意識して磨いた点なのだという。「選手としてレベルアップするには、プレーの選択肢を増やしたり、パスの質を上げたりしなければならないと思っていた」。そう考えただけではない。強く意識し、念じたのだ。

「どうしたいんだと意識し続けることが大事なんです。こういうことをしたいんだと体と脳に染みこませる。そうすることで、徐々にその思いが結果として表れてくる」

何か夢や目標を抱いたら、それを絶え間なく意識する。香川はそうやって生きてきた。今季の9アシストという数字は、いわば念じることで実らせたものだ。大黒柱だったシャヒンが移籍し、ボランチからの攻撃の構成力が落ちたなかで、パスの精度を磨いた香川が果たした役割は大きい。 ただし、本人はこうもいう。「パスに酔ってはいけない」。それは本分ではないというのだ。「自分はあくまで、得点能力の高い中盤の選手だと思うので」。主は自らゴールを奪うことにある。「そこは一番ぶれてはいけないところ」

自分はゴールを奪うたぐいまれなる能力を持っている。それは誰もが備えているものではない。だから、その力をチームのために発揮しなくてはならない。そうした強い自負がある。だから言うのだ。「パスに焦点を持っていってはダメ。いかに点を取るかを考えなくてはいけない」

■今季13得点も納得してはいない

優勝を決めた一戦での歓喜のゴールで、今季の得点は13となった。それは欧州主要リーグで日本人選手が挙げた最多記録だ。だが、この程度の数字で納得していない。

開幕前に故障したバリオスに代わって、1トップに座り続けたレバンドフスキは周囲を生かす繊細さに欠ける。トップ下の香川がシーズン序盤で苦しんだ理由はそこにもある。だから、言う。「彼が僕を生かしてくれていたら、もっと点を取れたという自信がある」

決して相棒を批判しているわけではない。単に悔しいのだ。もっとできるという確信と野心があるのだ。満足も納得もしていません。その強い思いがにじみ出る。

(ドルトムント〈ドイツ〉=吉田誠一)

〔日本経済新聞朝刊2012年4月23日付〕

「何か夢や目標を抱いたら、それを絶え間なく意識する。香川はそうやって生きてきた。今季の9アシストという数字は、いわば念じることで実らせたものだ。」という箇所には大賛成です。

 

スポーツ, 新聞記事

ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター みました。ひどいね。

4月 19th, 2012
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キャストがよいので鑑賞したのですが、観客が私を含めてたった4人。メンズディとはいえ、すべて男性。観客は正しいから観る前に諦めたけど、それ以上に酷かったです。感想を書く気にもならないので、yahoo!ムービーのレヴューを見たらありましたね、同じ感想の方が。日本の観客は全く正しいと思います。

監督、脚本が悪いのでしょう。原作(五十嵐貴久)は読んでませんが、漫画化や舞台化もされているので、そこそこの水準は行っているんじゃないかと思いますが、定かではありません。

四人のヒロインたちの中では、黒木瞳の心情がリアリティがあったかな。とはいえ、ほかの三人に比べての話で、とりたてて良いわけではありません。監督が1949年生まれの女性脚本が1958年生まれの女性だから、そうなんでしょう。撮影場所も、カラオケ、コンビニショップ、高校の体育館、ファミリーレストランと社宅、住宅街、文房具店ぐらいですから、金も時間もかけてません。

監督と脚本家、星田良子神山由美子を画像検索してみると、役者もつきあいで出演しているようですね。キャリアもそこそこあるようですが、それでこれでは、それまでということなのでしょう。 映画は2010年9月に撮影されたとのことですが、あまりの出来の悪さに公開をためらっていたということでしょうか。

音楽映画なのに、リズム感のなさというか、ライブ感-観客を盛り上げられないというのは致命的です。テレビ局で、一流会社のスポンサー相手のドラマを作ることはできても、一般大衆の心の動きに配慮するのはできないんでしょうね。まあ、そういった意味では、全く今のテレビ局の有様が映し出された映画だったと総括しておきましょう。

映画, 音楽

米国の電話番号を無料で作成できるのに、日本のユニバーサルサービス制度は?

4月 17th, 2012
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米国の電話番号を作成するのは無料とのこと。はて・・・、日本のユニバーサルサービス制度とは何なのでしょうか。番号ごとに月額5円支払っていますが、原子力発電のように、独占企業とマスコミで作り上げた制度なんでしょうかね。電話料金が世界一高い日本が、世界でも類のない制度のお金をせこく徴収する。なんとも不可思議な制度だなあと、本日感じた次第です。ガラパゴス携帯といい、世界でも類のない地デジ化推進といい、摩訶不思議としか言いようのない日本を改めて感じました。

そもそもはグーグルヴォイス(google voice)の料金です。安いですね。日本国内ですと、携帯電話に11セント/1分、固定電話で2セント/1分です。これが私の加入しているDOCOMO FOMAタイプSS_バリューですと、42円/1分ということですから、1/4ということになります。国内通話が携帯で11セント/1分で、日本-米国となっても変わらず11セント/1分。すごいのは米国内の通話だと無料-1セント/1分というところですか。

日本では、先のユニバーサルサービス制度があるから難しいですが、このサービスは番号を付けるとさらに濃くなります。詳細は、Google Voiceはやっぱりすごかったをご参照ください。

グーグルヴォイス(google voice)をiphoneで使う場合はtalkatoneをインストールすればOKです。PCからグーグルヴォイス(google voice)を利用して携帯に電話すると、「通知不可能」となってなんとも不気味な電話になってしまいますが、talkatoneでかけるとダミーじみた米国発の電話番号が通知されるようになります。ダミーがいやな人は、グーグルヴォイス(google voice)の電話番号を得るための認証に必要な米国の番号を得るためにwhistle phoneにログインしましょう。グーグルヴォイス(google voice)とtalkatoneとwhistle phoneをぐぐっていると、米国発の電話番号が好きなだけ手に入れることができるようになるようです。もちろんユニバーサルサービス制度の網にかかることもありません。

で、行き着くところは、米国の電話番号同士で電話をかけ合うことですね。これだとほとんど無料に近い料金でコミュニケーションすることができるようになるようです。通話の日本空洞化というところでしょうか。

 

未分類

J・エドガーを鑑賞した。芝山幹郎の解説に膝を打った。

4月 14th, 2012
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良かった。

実は、同じ日に「アーティスツ」も鑑賞。こちらも良かった。しばらく時間が経つと、J・エドガーが心に残っているのがわかった。日常の空いた時間に、J・エドガーの陰がちらつく。何でだろうと思いつつ、数日経ってからネットサーフィンしていると出会いましたねいい解説に。思わず膝を打ったのがこれだ!!

陰翳豊かな演出作法 芝山幹郎

「J・エドガー」のイーストウッドは確信犯だ。話は盛り上げない。人間関係も詳述しない。灰色の体質を持った主人公が、灰色の服を着て、時代の灰色の部分を爪先立ちで歩いていく。しかも、期間が長い。J・エドガーは、FBIの頂点に48年間も君臨した。

「フーバー」と題さずに「J・エドガー」と題したのは、私人の側面を強調しようとしたからだ。背後には、時代時代の大きな事件も裁ち入れられる。アメリカ共産党の結成、リンドバーグ愛児誘拐事件、JFK暗殺事件。
複数の点がつながって、線を作る。線は交差して面となり、映画に奥行きをもたらす。衣装と美術も素晴らしい。イーストウッドは、陰翳豊かな演出作法を手の内に収めている。
「イーストウッドは確信犯だ」がすべてです。

テーマも興業も非常に難しい映画だったが、「話は盛り上げない。人間関係も詳述しない。灰色の体質を持った主人公が、灰色の服を着て、時代の灰色の部分を爪先立ちで歩」くように映画を作りあげた。同性愛も、女装趣味もスキャンダルをネタにした恐喝も描いていないわけではないが、真実にはほど遠い描写に留めている。しかも、映画の終わりには、クライド・トルソンにエドガーが自分の作った嘘さえ事実だと思いこんでいると語らしめ、映画そのものの信憑性を否定している。灰色さえも透明にして観客を煙に巻いてしまっているのだ。

まあ、このぐらい用意周到でないと、アメリカで生きていく(比喩ではありません、文字通りの意味です)ことは難しいと言うことでしょう。

それでもなお、いやそれ故にというべきか。透明になったスカスカの映画は、エドガーのコア、真核を描くことに成功しています。ディカプリオは良かったですね。

 

インターネット/WEB, 映画