桑田二郎氏の「絵で読む般若心経 上下」

昨日、中古本屋で見つけたのは、桑田二郎氏の「絵で読む般若心経 上下」。この中で、瞑想によるチャクラ出現の描写が良かったのてご紹介します。

桑田二郎氏のファンなのでこの手のたくさんのマンガを読んでいますが、ここまで詳しい絵は初めてでした。色彩がついていなかったので、私が日頃からよく似ていると思っている「かに星雲」の写真も紹介しておきます。色合いはこんな感じです。

たくさんの瞑想方法がありますが、氏がこの本で紹介しているのは般若心経を利用した瞑想方法です(下巻218-257頁)。私は、氏のほかの著書で瞑想を学びましたが、この本の説明はなかなか良いと思います。

アマゾンで調べたら、今ですと中古で1円、送料も含めて一巻300円以内で入手できます。気合をいれて瞑想を学ぼうとする方にはお薦めです。

心にナイフをしのばせて-クロスオーバージャーナリズム

大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家、奥野修司による、「心にナイフをしのばせて(『酒鬼薔薇事件』に先立つこと28年前の類似の残虐事件)」を読んだら、壮絶な内容を体が消化するのに数日を要した。

自分なりの答えだが、人間は死んだら終わりではない・・・、生死を越えた観点から見る”霊性”のあり方が問われるのであり、そこに、こういった事件の救いがあるような気がするのだ。

もうすぐ7年目の3.11だが、奥野修司著「魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く」のような生死を越えたクロスオーバージャーナリズム(僕の造語です)がこれからますます必要とされるのではないだろうか。

*****************************著作紹介****************************
「今まで語れなかった――。でも、どうしても伝えたい」
そして、
〈誰にも書けなかった。でも、誰かが書かねばならなかった〉
〝不思議でかけがえのない物語″が、いま明らかになる!

あの未曾有の大震災から、今年で7年――。
その被災地で、死者を身近に感じる奇譚が語られているという。
最愛の家族や愛しい人を大津波でうしない、悲哀の中で生きる人びとの日常に、 突然起きた不思議な体験の数々……。
《愛する亡夫との〝再会″で、遺された妻に語られた思いは……。
津波で逝った愛娘が、母や祖母のもとに帰ってきた日に……。
死んだ兄から携帯電話にメールが届いて……。
早逝した三歳の息子が現れ、ママに微笑んで……≫
だが、〝霊体験″としか、表現できないこうした〝不思議でかけがえのない体験″によって、絶望にまみれた人びとの心は救われたのだった――。
著者は3年半以上も、そのひとつひとつを丹念に何度も何度も聞き続け、検証し、選び出し、記録してきた。
「今まで語れなかった。でも、どうしても伝えたい」という遺族たちの思いが噴き出した、初めての〝告白″を、大宅賞作家が優しい視線と柔らかな筆致で描き出す!
唯一無二の〝奇跡″と〝再生″の物語を紡ぎ出す、感動と感涙のノンフィクション。

小説「夜の歌」衆議院選挙にて、圧倒的な与党の勝利に捧ぐ

突然の急死に臨んだ場合、自分の一生を走馬灯のように一瞬のうちに隅々まで再体験することがあるという。
人智学で有名なシュタイナーによれば(正確には、シュタイナーの評伝、タイトルなどは忘れた)、死後、人間は自分の一生を振り返るだけではなく、自分に相対した相手の感情を再体験することになるという。例えば、自分が侮蔑した相手の侮蔑された感情を再体験したり、自分が助けた相手の安堵した感情を再体験をするというのだ。つまり、人は、生死を通じて、あざなえる縄のごとく運・不運を統合するということらしい。

実は、ここ一週間ほど、なかにし礼の小説「夜の歌」を読んでいた。ゲーテの”ファウスト”をなぞったようなキャラクター、”ゴースト”が顕われて、なかにし礼と一緒に彼の人生を、過去にさかのぼり詳細に読み解いていくという話だ。

話の中核は、戦後の満州からの引き上げ時のエピソードと、昭和歌謡の一時代を築いた人気作詞家の生活で、後半に、彼のお金を巻き上げ続けたお兄さんも登場する。

満州引き上げ時の壮絶なエピソードは、類を見ないほど凄惨である。また、なかにし礼の作詞したヒット曲(昭和のヒット曲と言うべきか)に絡んだエピソードは、実に面白い。

引き上げ時には、7歳ほどだったという礼が、当時の詳細な記述を成し遂げているのは、丹念な資料収集などがあったのだろうが、彼の臨死体験が大きな影響を与えているのではないかと思う。自殺した父、親子を陰ながら助ける諜報員、母と姉の描写は、彼が彼らの感情を経験したとしか言いようがない表現となっている。

小説の序盤の、ゴーストと礼の対話を若干紹介しておこう。

「君はこないだ私に連れられて最高塔に上った。そこで君は”死臭”をかぎ、自分自身には封印していたはずの、少年期にわが目で見た戦争という暴力の残酷さに再び出会った。それは、君にとっては二度目の絶望だったかもしれないけれど、その絶望が君という人間の土台を造り上げていることを思い出したはずでしょ?」
「うん。その通りだ。だけど、二度とあの光景は見たくない」
「なぜ?」
「あの絶望を封印したことで、僕は今日まで何とか生きることができたんだもの」
「永遠に封印したいってこと?」
「うん、もちろんさ。あんな絶望は二度と願い下げさ」
「そうはいかないわ。あの光景をもう一度はっきりとその目で見て、確認して、もう一度絶望に打ちひしがれなくては、本当の君の全人格は完成しないの。それをしないかぎり、君はいつまでたっても、土台のない、つまり足のない幽霊みたいな存在でしかないのよ。そんな幽霊が、歌が書きたいなんて笑わさないでよ。・・・」

壮絶な再体験を重ねていく礼に、小説半ば過ぎにゴーストは次のように諭す。

「・・・真珠採りの海女は深く潜れば潜るほど大きな真珠を取ることができるわ。でも、あまりに深く潜りすぎると海面に帰り着く前に息が途絶えて死ぬことだってあるのよ。君の記憶探索作業もそれと同じで、あまりに深く潜りすぎると危険な場合がある。人間の記憶世界は何層にも分かれていて、第一層、第二層、第三層、第四層・・・・実際に何層に分かれているのかは誰も知らない。とにかく意識にも深淵があるように、記憶にも深淵があるとされている。第一層があれば日常生活に不自由しない。第二層があれば大抵の試験に合格できる。第三層があれば芸術家になれる。その芸術家の中でも、本来の自己そのものと直面して、それをしかと感得して、世に稀なる作品を創造したいと思うものは、第四層、第五層、いやもっと深く記憶の深淵にまで潜り込んでいかなくてはならない。記憶世界は深い。闇よりも深い。それが第何層に当たるのかはわからないけれど、母の胎内にいる時の記憶をくぐり抜け、いつしか民族の、いや人類の記憶とさえ合体するところにまで潜りゆく芸術家だって時にはいるのよ。たとえばゲーテなんかはそうよ。こんなことを言っているんだからさすがだわ。『全人類に課せられたものを、私は自分のうちにある自我でもって味わおう。自分の精神でもって最高最深のものを敢えて積みかさね、こうして自分の自我を全人類にまで拡大し・・・』(『ファウスト』)。余計なおしゃべりをしてしまったけれど、レイ君、君も相当深いところまで潜っていたことは確かよ。でも、今回はここまで」

昼間に星は見えないが、星が無くなったのではない。太陽の光が遮られれば、星は煌々と光り輝くことになる。瞑想とか、臨死状態で、人の意識が遮られると、そこで体にうごめく記憶が饒舌に語りかけてくることになる。真に死に至るためには、そのうごめく記憶と対峙しおのれを完了しなければならないようだ。

小説の終章「ニルバーナ」にて、著者は死の淵で7歳のおのれと対面し、「よみがえりなき死は真の死にあらず」ということを了解するに至る。
人を蹴落とすことは、蹴落とされることであり。人を愛することこそ、人から愛されることでもあるわけだ。人が、実に、心から人を敬い、人を助けることは、涅槃への近道であるようだ。

今回の衆議院選挙、与党の圧倒的勝利に、この小説をささげようと思う。

初めてのリクエスト

これはほんのちょっと前の話。日にちはしっかり覚えている、2017年の7月12日だ。
この日僕は市内を午後に車で走っていて、カーラジオでNHKFM放送を聞いていた。
放送では、1925年7月12日にNHKの前身の東京放送局が日本で初めてのラジオ本放送開始した日に因んで、視聴者が初めて放送番組にリクエストしたことについて話していた。
番組につられて僕の初めてのリクエストはがきを思い出していた。

高校二年生だった。
当時、深夜番組は受験生にとっては欠かせないものだった。ローカル番組のエーエムオーがやたら人気で、クラスを挙げてこの番組に参加していたかのようだった。
なんでも、クラス全員の組織票を使って、童謡「お馬の親子」をこのローカル番組のヒットチャートで一位を取らせようというプロジェクトが立ち上がっていた。そして、その一環で僕にもリクエストはがきが配られてきたのだった。
とはいえ、リクエストはがきに、「お馬の親子」以外は、何を書いていいのか皆目見当がつかなかった。
というのは、その頃の僕は、クラブ活動に一生懸命だった時期で、それ以外の時世には全く疎かったのだ。そんなことなので、結局、はがきには「アイアムア・バタフライ」と大きな字で埋めた。バタフライとは、僕の専門の競泳方法だったからだ。ひょっとしたら、競泳の図柄なんかも描いていたかもしれない。
その頃の僕は、頭が空っぽの体育会系そのものだったような気がする。

しばらく、リクエストに因んだ高校生時代の情景が次から次へ浮かんできていたのだが、番組も終わりに近づいてきたようで、リクエストされた曲のタイトルを告げていた。知らない曲だったけど、タイトルには驚いた、
「摩天楼バタフライ」という曲名だった。

人生は、このようなシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)に溢れている。

シンクロニシティを提唱したのは心理学者ユングであるが、背景には、易経などの東洋思想がある。
また、バタフライ、蝶々であるが、人の霊が死後蝶に変わるという話は各国に存在し、それに類した話には中国の「胡蝶の夢」、すなわち魂が蝶となって夢の中に遊んだ話がある。蝶になった夢か、人になった夢か。人が死を迎えて身体から魂となって抜け出す様子を、蝶が蛹から羽化する様子に例えたものだと考えられる。

高校時代にお世話になった先輩が先日お亡くなりになった。
蝶々になった先輩が、あの世でさらに活躍することを祈念している。

お盆に郵便局に行ってきた その2

今日も午後から郵便局に行ったら、昨日とは違いたくさんのお客さんがいた。
海外への郵便物を出した帰り際に昨日の女性職員の方が、昨日の不思議な話への礼を言いながら飴をくださった。
とても楽しかったのだそうだ。
僕を霊能者のように勘違いされているようなので訂正をしておいた。なにも見えないし、なにも聞こえないただの人間だってね。
ただ、昨日の種明かしをすると、世間は、みんなが思っている以上に不思議な話に満ちている。
具体的に言うと、不思議な体験をされている方は2割以上は当たり前にいる。つまり、4人か5人に一人は不思議な話を持っているということなのだ。
昨日は、僕をいれて4人の人間が居合わせていた。だから、僕は自信をもって不思議な話を提案することができた。
さらにいうと、不思議な話がその場にないのなら、僕の脳裏にそのような提案が思い浮かぶわけがないだろうということもあったよね。
また、昨日の話がとても楽しかったというのはある意味当たり前かもしれない。なぜなら、鎮魂とは最高のエンタティメントであるからだ。
死者が主人公となる日本特有の芸能「能」は、ワキ(旅人)の登場で始まる。そうするとどこからともなくシテ(死者)が顕われ自身の物語を語りながら舞をみせる。
ワキもシテも、物語を鑑賞する観客も、能舞台を楽しむということで、自身の思いや残念を昇華しているのだ。
昨日の支店長代理は旅人であり、シテは手形の持ち主であった。めったに顕われることのない残念は、機会を得て表出することにより鎮魂を授かることになったのだと思っている。