「往生要集」の著者、源信のターミナル・ケアは進んでいたらしい

60歳を過ぎたということも有り、最近は死に方について考えることが多くなったような気がする。昔は気にもしていなかった浄土宗や浄土真宗の西方浄土の話なんかに惹かれるようにもなってきた。何か月か前に読んだ本で、浄土教の基礎を築いた源信なんかは、かなり進んだターミナルケアをしていて、近親者のターミナルケアは、死に行くものが現世に執着をもつようになるので、近親者以外の看護が望ましいような教えしていたらしい。

そのあたりを読み直してみようと、今日は時間をかけて本棚を弄っていたのだが、目的の書物が見つからなかった。確か、寝たきり老人や、植物人間とのコミュニケーションについて語っていた本だと思ったのだが、題名も忘れているのだからしようがない。いずれ、時期が来たら現れるのだろうと思うことにした。

代わりと言ってはなんだが、生、死、神秘体験―立花隆対話篇に浄土教についての似たような記述があるのに気づいた。なかなか面白かったので、ご紹介。

臨死体験が語るもの

立花 今度、「文藝春秋」に三年近く連載した「臨死体験」という作品が完結するんですが、これはおそらく、僕がこれまで書いてきたものの中で、いちばん読者の関心が高かったように思うんです。僕自身、そのあまりの反響の大きさに、ややとまどっているといった状況なんですね。

臨死体験へのそういった関心の深さというのは、人がやはり死というものをいろいろな意味でかなり強く意識している.そういう時代背景があるんじゃないでしょうか。一つには世紀末ということもあるだろうし、高度医療化時代を迎えて、脳死間題、尊厳死問題、ガンの告知問題などを通じて、みんないやおうなしに死の問題を考えざるをえなくなったということもあるだろう。あるいは環境聞題で、地球の死というような終末論的状況を考え蔽ければならなくなったということもある。

先生には取材の段階で平安末期の浄土信仰や「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」という念仏結社について教えていただきましたが、あの時代がやはり、末法思想という一種の終末論が流行った時代ですね。

山折 そうです。

立花 ちょうど社会体制も平安から鎌倉へと移行する大転換期で、社会経済的にも、いろんな混乱があり、やはり人が死というものを強烈に意識せざるをえない状況があった。その中で、死んだらどうなるのか、死んだあと、極楽浄土へ行くにはどうすればいいのかという関心が非常に高まったわけですね。

山折 そうです。日本では死後の世界の概念がつくられていくうえでは、やはり浄土教の影響が大きかった。この浄土教というのは、もちろん元はインド仏教の一派なんですが、とくに人間の死後の運命、人は死んでのち、どこに「往生」するかということについて考察をめぐらせた一派です。その浄土教が日本の民衆のあいだに浸透していった時期が、だいたい平安の中期から末期.『源氏物語』が書かれた時期になります。そのころ、比叡山に源信(九四二~一〇一七年)という僧が出て、『往生要集』という本を書き、日本の浄土教の基礎を築いた。これはいわば死のためのテキストで、地獄や極楽のイメージ、極楽往生のために行なうべき信仰生活について詳しく説いたものです。一般の人々にも広く読まれ、その後の日本人の地獄観、極楽観の形成に決定的な影響を与えています。

この本を書いたあと、源信は実際に念仏結社をつくって、極楽往生のための実験を行なうわけです。同志たちと毎月一五日の満月の日に集まって、徹夜で念仏を唱えた。この結社には、二五人の人間が集まったので「二十五三昧会」という名がつきました。
彼らはメンバーの中の誰かが病気になって死を迎える段階になると、その病人を「往生院」という特別の部屋に入れてやる。そして仲間のうち二人がつきっきりになって、二四時間体制でいっさいの世話をした。いまでいうホスピスのようなことをやったわけです。

立花 それで、死んでいく人が本当に浄土へ行けるのかどうかを確かめるために、病人の耳に口をつけて「いま何が見える?」と聞いたりしたわけですね。そしてその人物が見た最後のビジョンを記録した。

山折 そうです。その記録はかなり残されていて、それを読むと「真っ暗闇だ」と答えている人がいるわけです。「地獄の業火みたいなもの述身に迫ってきて苦しい」と言っている人もいる。しかし、中にはやはり「極楽が見えている」とか、「阿弥陀如来が自分に近づいてきている」とか、今日言うところの臨死体験的なイメージを見ている人がいるんですね。

立花 そういう記録からみると、やはり臨終の床で、ほとんどの人はそういうビジョンを見るということが言えるんでしょうか。

山折 というより、彼らのは念仏結社ですから日常的な修行をやっているわけです。その修行の最終的な目標は、死ぬときにいいイメージを見て死にたいということだった。そのための修行であり、その修行に成功した人はいいビジョンを見ることができるということだったわけです。
それは二十五三味会だけでなく、同時代のほかの修行者たちも同じです。死ぬときに良きビジョン、つまり極楽のイメージを見て死ぬためには、それ相応の身体訓練をしなければならないという自覚があった。それで、お経を読んだり、山を歩いたり、写経をしたり、禅を組んだり、いろいろなことをやる.そして、いよいよ自分の寿命が尽きた、あと一カ月かニカ月で息を引き取るかもしれないということを悟ると、穀断ちをする。五穀を断って木の根・木の実のみを食べる木食を行なって、白分の体を枯れ木のような状態にしていく。そして、もうあと一日かそれぐらいで命が尽きるというときに、完全断食の状態に入っていくわけです。
そうすると、人間の生理というのは非常におもしろいもので、無限に死の状態に近づいたところで、ある種の生命力の反発のようなものが起こるのか、ビジョンを見る。そのビジョンの多くが「阿弥陀如来が現われてきた」とか、あるいは「極楽が現われてきた」というものです。そして翌日息を引き取る。つまり生命の限界ギリギリのところでそういう現象が起きることを彼らは経験的に知っていたということですね。

立花 その時代の人たちは、そのイメージというか、ビジョンというものを、どう考えていたわけですか。そこで見ているものは単なる視覚体験ではなくて、本当に浄土世界そのものである、つまり人が死んだあとの世界そのものを自分は見ているんだという意識があったわけですか。

山折 この世からあの世へしだいに近づいていって、そして浄土のビジョンを見たのだという確信を持っていたでしょうね。

立花 断食鞍どを経て、自分を枯らして死んでいくというやり方は、空海の入定もほとんど同じですよね。それから、時代が違うけれども、東北の出羽三山で断食してミイラになっていった僧侶たちも方法的には同じですね。

山折 そうです。

立花 そういったケースは知られている以外にも前からあって、その過程でそういうビジョンを見た経験の伝統が極楽浄土のイメージをつくっていったということがあるんでしょうか。

山折 いまおっしゃった出羽三山の即身仏のように、土に穴を掘ってそこに入って断食をする土中入定というやり方のほかに、薪を積んだ上に自分が乗って、自分で火を付けて焼くという、火葬の模倣のようなやり方もありました。それから、水中に身を投げて死ぬという水中入定みたいなものなど、いわば異常な状況をつくってその中で往生=死を迎えるというやり方は昔からずいぶんあったと思います。中国にもそういう例はたくさんあります。

立花 修行者たちがそこまで過激なことをするというのは、それが本当に極楽往生につながるという確信がないと、とてもできることではないですよね。そういう確信はどこからきているのか。たとえば土の中に入ってミイラになったお坊さんが、中で自分がどういう状態にあるかを外の人に伝えたというような記録はあるんですか。

山折 それは本人というより、最期を見届けた人々の記録が主です。死んでいく人が直接生き残った人に伝えた例というのは、さきほどの「二十五三昧会」ぐらいだと思います。秘伝の形で口から口へ伝えられた話はたくさんあるだろうとは思いますけれども。

立花 日本の古い文献を読んでみますと、臨死体験の記録というのは昔からずいぶんたくさんあるんですね。

山折あります。

立花 日本だけじゃなくて、外国の文献にも、たとえばプラトンの国家篇なんかにもちゃんとある。ああいうものを読んでいくと、臨死体験というのは、世界のいろいろな宗教の原体験として昔から、非常に大きな意味を持っていたのではないかという気がします。死にかけて生き返った人というのはいつの時代にも必ずいるわけで、彼らは白分の体験を現実のものとして人に語る。それがあの世のイメージをつくり、また、それを含んだコスモロジーというか、世界解釈をつくり、それが宗教を成立させていった。つまり宗教の原体験の一つとして、臨死体験は人類文化において非常に重要な意味を持っていたんじゃないかという気がします。
以前、取材でもうかがったんですが、先生ご白身が、やはり死にかけたときに臨死体験に近いものを経験なさってますよね。そのときの体験と、それが精神に与えたインパクトというか、世界観の変化というものを教えていただけますか。

山折 私自身の体験は、はたしてそれが臨死体験であるかという間題もあるんですが、それはひとまずおくとして、私は学生時代に十二指腸潰瘍をやって胃袋を三分の二、切っているんです。それから一〇年ぐらいたって、学生諸君と酒を飲んでいたときに、突然、大吐血をして、意識を失いました。バケツ半分ぐらいの血を吐いたと思います。
その意識を失う瞬間に、眼前に五色のテープをふき流したようなイメージが現われたんです。相当血を吐きましたし下血もしましたから、生命力がかなり衰えている状態でのことで
す。五色のテープをふき流したようなイメージの中で、白分の体全体がフワッと浮遊した感じがした。それが非常に快かったというか、気持ちがよかった。何か大きなものに吸い取られていく、そういう感じがあったんですね。
これはあとから思い出したことなんですけれども、「まあ、このまま死んでいくならそれでもいいか。これはなかなか悪くないな」ということを、非常に短い時間だったと思いますが感じておりますね。

立花 そのフワッとした感じの中で。

山折 そうです。何かに吸い込まれていくような心地よい感じの中でです。私の場合は臨死体験といっても、それがすべてでして、気がついたら病院で横たわっていました。その後三カ月間、入院したんですが、点滴をしながら一〇日間ぐらい絶食をしました。すると三日目、四日目あたりまではものすごい飢餓感に悩まされたのに、不思議なことに、五日目、六日目になると、気持ちが非常に澄んでくる。五感鑓非常に鋭敏になってくるし、体全体が軽やかに感じるんです。

立花 それは一種の断食体験に近いことなんでしょうね。

山折 そうです。それでベッドの上で、なぜこんなに自分の生理が変化したのかと思っていたところ、フッと思い浮かんだのが、さきほど言いました「二十五三昧会」という、平安末期の念仏結社の人々の体験だったわけです。彼らはなぜ修行の最後の段階で断食なんていうことをやったのか。それはやはり最後の最後に死を乗り越えるためのイメージが欲しかったからではないか。
それを自らの体験と重ね合わせたときに、人間というのはひょっとすると、生命が非常に衰えたとき、危機的な状況に追い込まれたときに、ある生命の反逆作用が起こって、超日常的なイメージを眼前にする。そういう現象が起こるのではないか。そう思いまして.私の人間に対する考え方とか、大きなごとを言えば、世界観がガラッと変わったわけです。自分自身の肉体がまさに研究対象になるといったらいいんでしょうか、そういうことを実感しました。

立花 そのときまでは「死んだらどうなる」と思っていたんですか。いっさい無だと思っていたんですか。

山折 それまでは無神論者ですよ。観念的な無神諭者というのかな。死は無に帰することであるという近代ヨーロッパの考え方を受け入れていたと思いまずね。ただ、いまから思うと、それはやはり首から上の知識だったような気がしますけれど。

立花 それがその体験を機に、考えが変わるわけですか。

山折 ええ。それまで私は、死後のことを積極的に否定していたわけです。実在するかしないかということで言えば、とても実在するとは思えなかった。しかしその体験があってからは、確かに証明はできないかもしれないけれども、たとえフィクションとしても死後の世界というものを考えたほうが、人閻の生き方というのは豊かになるのではないか。そういうふうに感じるようになりました。 (32ページ~39ページ)

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鎮魂のアニメ映画「風立ちぬ」には、夏がよく似合う

ジブリアニメ「風立ちぬ」観てから数週間、なんともはや、予想外の作品を消化するのに時間が懸かっておりました。映画は淡泊で、肉食系ではなく、脂ぎってはなく、エロスがなく、毒もないのです。零戦は、兵器であることを辞め、天使の乗るもののような雰囲気がありました。この、手応えのなさといおうか、得体の知れない不気味さといおうか、そういった不思議さに戸惑い続けていたのです。

映画は、「夢」から始まります。そして、「夢のような」場面で終わります。もう生きてはいない、ジャンニ・カプローニも、菜穂子も「夢のような」場面に当たり前に出てきます。そして、映画のキャッチコピーは「生きねば。」なのです。

しばらくしてから、映画は心のさまを純化したものだと気づきました。美しい飛行機を作りたいという心のさま、好きな人と一緒にいたいという心のさま。それらをストンと心の奥まで降りていき純化したものをすくいとり、表現したのだと思ったのです。そのためにも、エロスや毒、兵器であることを削ぎ落とす必要がありました。そして得た究極の表現は、究極のエンターティメントにつながります。究極のエンターティメントとは、鎮魂でしょう。

「風立ちぬ」は鎮魂のアニメ映画なのです。今はいない映画の主人公への鎮魂、多くの亡くなった方々への鎮魂、そして映画の観客自身を含む生者への鎮魂です。このアニメ映画には、夏こそふさわしいと改めて感じ入った次第であります。

「死者」が中心となって当たり前の能について、幽 Vol.19 2013年 08月号 [雑誌]にて、能楽師、安田登のロング・インタビューが考えをまとめるにあたり非常に参考になりました。以下に全文をご紹介します。

安田登 ロング・インタビュー

能楽師として国内外で舞台をつとめるほか、能のワークショップやエクセサイズとしての能など、従来にないアプローチで能楽の魅力を広めている安田登さん。異彩を奴つその活動の中から見えてきた「地霊さきわう国」の芸能と怪談との関わりについて、経験に基づく独自の視点で解説していただいた。

招魂し鎮魂するという日本人古来の心性

-今回、「怪談専門誌」を標榜する本誌で能楽特集をするにあたリ、安田さんへのインタビューは欠かせないと考えていました。それと云いますのも、安田さんは伝統的な能楽はもちろん、夏目漱石の『夢十夜』から特に怪談的な色合いの濃い「第一夜」や「第三夜」の朗読劇に挑戦されるなど、怪談文芸への御理解が非常に深いようにお見受けするからです。
御著書では、能楽の持つ「鎮魂」という役割に触れられていますが、これは『幽』が提唱する「鎮魂の文学としての怪談に通じるものがあります。ですので、まずは安田さんが考えた舞台ておられる鎮魂の芸能について御意見を伺えますでしょうか。

安田 日本には歌舞伎や文楽など様々な古典演劇があり、それぞれに幽霊が登場する作品はたくさんあります。しかし、同じ幽霊でも役割には大きな違いがありまして、能に出てくる幽霊は入を怖がらせる気はまったくありません。歌舞伎の『東海道四谷怪談』などは、観客をいかに怖がらせるかを眼目において工夫をこらした舞台です。しかし、能の場合は発想が根本的に違い、まさに鎮魂を求める存在として霊たちが登場します。見るほうにしても、舞台上の霊に恐怖を感じるために来場するわけではありません。

-能の場合、シテと呼ばれる劇中のメインとなる存在が幽霊であることが多いですね。そして、そのシテが自分が死んだ時の状況やどのような思いを残したかというところを語る夢幻能と呼ばれる様式があります。これは能楽の大成者である世阿弥が確立したとされていますが。

安田 はい、そういわれています。簡単に能楽の歴史をおさらいしますと、中国から入ってきた雑芸である「散楽」を中心とした芸能が、やがて芸能を職分とする人々によって上演される「猿楽」と呼ばれるものとなり、観阿弥・世阿弥親子の時代になって現在の能楽に繋がる芸能として完成されたといわれています。ですが、これは文献上から導き出された歴史であって、私個入はちょっと違うのではないかと思っているのです。演者としての実感ですが、散楽の様子を描いた絵を見ると、どうもいまの能楽には結びつかないような気がするんですよ。

-たしかに滑稽な雑芸だったという猿楽と、高度な歌舞芸能である能楽の間には、ある種の断絶があるように感じられますね。

安田 ええ。文献主義的に能楽を考えると「鎮魂の芸能」としての能楽が見えてこない。先ほどおっしゃつた通り、夢幻能は死者の鎮魂を前面に出した芸能です。私は、能楽とは「死者は鎮魂するのが当然」という日本人の心性が芸能化したものだと思っています。

- 『万葉集』に数多くの挽歌が収められているように、日本では上古の昔よリ「鎮魂」が文学上の重要なテーマでした。

安田 そうですね。後に歌聖として讃えられた柿本人麻呂は和歌を詠むことで死者を鎮めました。その後も政争の敗残者たち・・・崇徳院や源義経など、非業の死を遂げた人々はあらゆる文学的な手段で鎮魂されています。

-市井の人々の鎮魂というのも日本人は熱心におこなってきましたよね。盆踊り然り、盆時期の怪談芝居然り。

安田 お盆は中国発祥の行事ですが、彼の国と日本のお盆では大きな違いがあります。あちらでは死者の国にいる霊に供物を手向けてその安寧を祈る。しかし、日本では現世に死者をお迎えし、そこで慰霊するのです。遠くにいる死者を思うのではなく、自分たちのいる所に招こうとする。これは日本の特徴と言ってよいでしょう。また、現代でも各地にが残っています。神様をお招きし、それを人間に憑依させて語らせるという神楽です。能楽とはそうした憑依神楽的なものや、招魂し鎮魂するという日本人古来の心性が、長い年月を経て芸能になったんじゃないかなと思っています。

生者の魂を鎮める力

安田 ただ、私は鎮魂というのはなにも死者だけのものではないとも思っているのです。

-ほう、それは興味深いですね。詳しくお話しいただけますか?

安田 シテの幽霊は最後に「ありがとう」とワキに礼を言って帰るときもあるし、勝手に鎮魂されて帰っていく場合もあります。そうして霊たちは救われていくわけですが、同時にワキも救われている。ワキとして舞台上に座っていると、それがわかるのです。幽霊を鎮魂しているつもりが、実は救われているのは旅人だというのは、すごくおもしろい。そして、さらには能をご覧になっていた観客の皆さんも実は鎮魂されている。

-観客が、ですか?

安田 はい。能の観客は途中から舞台を見ていないことが多い。目では舞台を追っているけれども、心では自分のことを考えているんですね。
鎮魂とは文字通り荒ぶる魂を鎮めるということです。たとえば源義経の場合、彼の功績により鎌倉時代という新しい時代が始まりました。それにもかかわらず、彼は殺されてしまいます。他の時代でもそうですが、新時代の始まりにもっとも貢献した人は必ず殺されてしまう。彼らは旧秩序の破壊には必要な人間だったれども、新秩序の維持には邪魔になる存在です。そういう入は殺されなけれぱいけない。だからこそ、彼らの鎮魂は大変重要なのです。そして、これと同じことが実は個入の内面でも起こっています。

私たちは誰しも自分が生きていくうえで、葬ってきた闇の自分というものがありますでしょう。人生の選択において切り棄ててきた選択肢。それは、もしかしたら存在したかもししれない[別の自分」です。この自分を放っておくと、ときどきすごい勢いで表に出てこようとする。夢に現れるぐらいならいいですが、時には自分の入生を根こそぎひっくり返そうとする力すら持ち始めるわけですよ。そういう存在を夢の俎上に載せて、一暴れしてもらい、再び闇の中に帰ってもらうのはとても重要です。昔の人々は、将門にしろ、菅公にしろ、彼らをただ彼岸に追いやるのではなく、また経を上げてただ成仏を願うのでもなく彼らの生き様、戦った姿、そしてその末の無念を再現して、ひとまず気を晴らしてもう一度あちらに戻ってもらうという作業を繰り返してきました。その過程で、観客は自分自身のなかの、彼らに等しい存在を慰撫し鎮めていく。それはつまり、普段は触れることのない「自分」というものに深く触れていくのに等しいことだと思います。

怪談というのもたぶん同じ効能があるのでしょう。恐怖というビビッドな感覚を得ることによって、普段の自分とは違う何かに触れていく。ただ、能楽はもっともっと奥の部分にまで到達しようとする。村上春樹はインタビューなどで「自分の地下二階に降りていく」という表現をしていますが、さらに先、地下三階まで降りていこうとするのが能楽です。それこそ『夢十夜一の第三夜のように百年前、千年前という生まれる前の記憶にまで降りていく。観客は、舞台を見ながら、無意識にそれを感じているのだと思います。能を見ながら寝てしまう人も多いのですが、その眠りはいつものそれとは違う、非常に深く気持ちのいい眠りだと感じるそうです。非日常の存在、あったかもしれなかった自分とのコミット。それが能の持つひとつの役割なのではないでしょうか。たぷん、人が「棄てなければいけない自分」を持っている限り、能楽という芸能は無くなることはないでしょう。

おくのほそ道は異界への道?

-なるほど。生者の魂もまた鎮められなければならないというのは素晴らしい着眼です。安田さんは長年引きこもりだった方々とおくのほそ道を歩くという活動をされていますが、それもやはり、「生者の鎮魂」に関わりがあるのでしょうか。

安田 はい。このワークショップを通して、おくのほそ道を歩いていろんな霊と出会うことで人は鎮魂されていく、というのを実感しています。
参加者は十代から四十代まで、なかには二十年ぐらい引きこもっていたという人もいる。そんな人でも、歩いているうちにどんどん変化していくのを、目の当たりにしてきました。ワークショップでは一日八時間ほど歩くのを一週間ぐらい続けるのですが、ある男性は旅の途中大雨に降られ、全身がずぶ濡れになるという経験をした数日後、日光の杉並木に到ったときに「旅の空我が人生に光射し」という句を詠みました。杉並木から日光がこぼれているのを見て、その句が浮かんできたというのです。引きこもっていた十数年には当然雨の日も曇りの日もありましたが、それは彼にとっては抽象的な雨であり曇りであった。傘をさして歩いていても、それは所詮天気予報の範囲内でしかなかった。でも、その旅で雨に降られてびしょびしょになりながら歩いていたら、天気と自分が一体化したというのですね。そうしたら、射す光までが彼にとって違う意味を持ち始めた。
また、おくのほそ道を歩くといろんな祠(ほこら)に出会うのですが、ある女性は、それぞれの祠にまつわる話を地元の人から聞いていくうちに、変化が起こったと言っていました。祠には歴史上の人物だけでなく、名も残らないながらも非業の死を遂げた人……たとえば火あぶりになった女の子の話や、行き倒れになった旅人など、いろんな人物の逸話が残されています。そうした話に触れ、いろいろと考えているうちに、はじめて自分の心が見えてきたそうです。つまり、自分で自分の鎮魂をしたというわけです。これってすごいごとだと思いませんか。

-それは『おくのほそ道』という作品があってこそのことなのでしょうか。

安田『おくのほそ道』は大変不思議な作品で、表向きは松尾芭蕉があこがれの存在だった西行が歩いた跡を追って東北を巡ったということになっていますが、書かれている東北は必ずしも本当の東北ではありません。私は「もうひとつの東北」という言い方をしているのですが、ある場所を歩いていると、いきなリスイッチを踏んでしまって、もうひとつの東北、パラレル・ワールドの東北に移行するんです。
たとえば、芭蕉が那須の黒羽に知人がいるので尋ねたというエピソード、この部分などは典型的なパラレル・ワールドの部分です。本文では、「那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば是より野越にかかりて直道をゆかむとす」となっているのですが、この直道というのがスイッチなんですよ。能楽で那須と言えば[遊行柳」という作品があります。西行が当地を訪れた際に詠んだという「道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ」という和歌をもとに室町時代後期の能楽師・観世信光が創作しました。
能では、この地にたどり着くときには広く楽な道を通ってはいけないというお約束があります。ところが、芭蕉は直道を通ってしまった。そうしたら、突然日が幕れて、雨が降ってくる。「遠くに村が見えたから、そこに行く」と本文には書いてあります。目視できるほどの村に行こうというのに、突然日が碁れるというのはおかしい。暮れるはずのない日が暮れてしまうのです。能ではこのパターンはよくあります。そして、そうなると必ず幽霊や精霊に出会う。芭蕉たちは仕方なく近在の農家に一泊し、翌朝あらためて出発しますが、どうも様子が前日と違う。しばらく行くと、野中に放し飼いの馬がいて、野道を歩き疲れていた芭蕉が草を刈っていたその馬の持ち主に「お願いだから馬を貸してくれ」と頼
み込みます。それに対し、男は快く貸してくれるのですが、そのときに「この野は縦横にわかれて、初々しき旅入の道踏みたがえむ」、つまりこの野の道はたくさん分かれ道があるので、土地に不案内な旅入だと迷うだろう、と言うのです。しかし、これは変です。昨日は「直道」だったわけですから。それが一夜明けたら道がぐちゃぐちゃになっている。しかも、借りた馬に乗っていると子どもがふたりついてきて、そのひとりの名を「かさね」というのですが、これもおかしい。というのも、かさねというのは都の辺りの名前で、那須にはあまりなかったはずなのです。さらにいえぱ、これは王朝風の名前、すなわち平安時代を彷狒させる名前です。つまり、江戸時代の那須を歩いていたはずがいつのまにか平安時代の京の辺りを彷徨っていたということになる。土地のある一点を通していくつもの時空が重なっていて、なにかの拍子にポンと移動してしまうのが、この『おくのほそ道』の世界なのです。

-なるほど、異界への扉があちらこちらにあるというわけですね。

安田 しかも、この現象は現代でも起こるんですよ。実は、ワークショップで那須を歩いた際、全グループがみごとに迷って、しかも全グループが里人に道を教えてもらっている。嘘みたいなのですが、みんな芭蕉と同じ体験をしたというわけです。あるグループは道を探しているとトラクターに乗ったおじいちゃんがやつて来て、何も聞いてもいないうちから、「この村は不思議な村で、六百五十年前の石碑があるんだよ」と教えてくれて、またそのままの山なかに入っていってしまったそうです。こうした不思議な体験ができるのは、すごいことだと思います。

地霊をきわう国を歩くということ

-『おくのほそ道』を含め、松尾芭蕉の足跡を巡る旅行というのは今でも人気ですが、能楽ゆかりの地を歩く謡蹟巡リもまた入気があります。謡蹟もまた異界への扉が開いている場所ということになるのでレようか。

安田 そうだと思います。「the 能.com」というインター.ネツト.サイトで「安田登の能を旅する」というエッセイの連載をしているのですが、この取材旅行の際には必ず不思議なことが起きるんですよ。

-不思議なことですか。どんなことがあったのか、ぜひ御披露ください。

安田 そうですね.兵庫県の一ノ谷に行ったときのことです。ご存知の通り、一ノ谷は源平合戦の折に大きな戦いがあった場所であり、ここで平敦盛をはじめとする多くの貴公子が源氏方に討たれました。能楽師として源平合戦にまつわる能を演じることもある私にしてみれぱ一度は訪れたい場所でして、ある仕事で神戸に行くことがあったついでに行ってみることにしました。

-一ノ谷の合戦ゆかりの能といえぱ、まず思い出されるのは世阿弥作の夢幻能『敦盛』ですね、未見の読者のために粗筋を説明しておきますと、一ノ谷の合戦でまだ十七歳だった平敦盛を討ってしまった源氏の武将・熊谷次郎直実は、我が子と同い年の少年を手に掛けたことがきっかけとなって厭世観が強まり、ついには法然上人のもとで出家して「蓮生」と名乗るようになります。そして、敦盛の菩提を弔うために一ノ谷を訪れたところ、笛を吹きながらやってくる草刈り男たちと出会う。そのうちの一人が実は敦盛の霊で、平家一門の儚い運命と自らの最期を語りながら舞うという内容ですね。

安田 その敦盛が討たれた須磨の海岸に行ってみたのです。敦盛は形勢不利と見て、沖の方に馬を走らせます。平家一門は馬を泳がせる技を心得ている人たちでした。しかし、源氏の武将はそれができない。だから、海に逃げるのが一番だったわけです。そんなことを考えながら海岸に出ると、目の前で氷上バイクが走り始めて、ちょうど敦盛が行ったあたりで止まりました。それを見てたら、もし敦盛が直実の挑発を無視してそのまま行っていたら逃げ切るごとができたのだろうなと実感したのです。
その翌日、今度は一ノ谷の合戦の大勢を決した鵯越の逆落しの現場に行ってみました。確かに一見馬を走らせるのは絶対に無理であるように見えるけれども、鎌倉で山に慣れていた源氏の兵たちなら不可能ではない。山の源氏と海の平氏。そんなことに考えを巡らせながらTwitterに書き込みをしていると、アイフォンのうえに赤とんぼが留まったんですよ。珍しいこともあると思っていたら、今度は白い蝶が飛んできた。赤と白、つまり源氏と平氏、それぞれのシンボルカラーが飛んでくるというのも、偶然にしてはよく出来ているなと(笑)。
また、同じく源平合戦に取材した「八島」の舞台である四国の八島の合戦場に行ったときには不思議な方に出会いました。
-屋島というと、一ノ谷の合戦で大敗した平家が、里内裏を置いて本拠地とした場所でずね。那須与一が扇を射抜いた話など、有名なエピソードが残っている場所でもあります。

安田 一ノ谷から平家の軍勢を追ってきた源義経は、屋島で平氏の軍の脅威に晒され、窮地に陥ります。それを一命を賭して助けたのが腹心の佐藤継信です。彼の死は能のなかでも触れられます。
そこで、私は高松市の牟礼町にある継信のお墓を探して歩いたけれども、なかなか見つからない。仕方なく地元の男性に教えてもらったのですが、話が終わったあともなぜかそのおじさんが私のあとを付いてくるのです。そして、聞いてもいないのに「俺が後を付いてきたのば、違う墓も教えたかったからだ」と話し始めた(笑)。
その入の案内で継信の墓がある辺りを見ると、いろんな墓所がありました。すぐ上には四国八十八ヶ所を巡礼している途中で亡くなったお遍路さんたちの墓があり、そのすぐ近くには墓碑に星印が付いている軍入の墓がいっぱいあって、さらに下をみたら牛のお墓がある。なんでも四国では牛の貸し借りをする「借子牛」という習俗があったそうで、その墓は貸し先で死んだ牛のものだったそうです。戦場で死んだ佐藤継信、遠い戦地で死んだ軍入、そして貸し出された場所で死んだ牛。つまり、そのあたりには客死した存在の墓が集められていたのです。海がすごくよく見渡せる場所でした。はるかに海を渡ッて霊がやってきたり帰ったりする。そういうことを土地そのものが教えてくれました。おじさんはいつしかいなくなっていましたね。まるで、シテがいつのまにか姿を消しているように。こうした体験がほぼ毎回ある。本当に不思議です。

-文献に当たるだけでは経験できなかったことや、現地に行かなけも毎号「怪談巡礼団」と称して、様々な土地を巡っているのは、まさに今安田さんのおっしゃったような出来事を求めてのことです。

安田 実際に行ってみるのは本当に大切だと思います。さらに言うと、行ってみるだけではなく、白分の足で歩いてみて欲しいのです。歩きのスピードでないと見えてこないものがたくさんあります。

ーたしかに、昔の作家や民俗学者はみんな実によく歩いていますよね。歩くことで土地の霊と出会い、そこで天啓を得たという人も少なくありません。

安田 土地の霊というのはすごく大事です。というのも、日本ば珍しい国で、時代を区切るのに地名を使いますでしょう。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代。すべて政権があった土地の名前です。そういう国はほかにあまりありません。そして、時代の名前に採用された土地は、いまだにその時代の空気を色濃く残している。奈良も、京都も、鎌倉も、その時代の名残がいまだに土地の売りになっているわけです。時代に渦巻いていたある種の思念が、土地に染み付いていつまでも残っている。歌枕などはまさにその象徴的なものだと思います。

-和歌に詠み遷まれる名所や旧跡のことですね。

安田 はい。それこそ柿本人麻呂の時代から、土地の記憶が歌枕という言葉に結晶して、それが歌に使われることで幾層にも積み重なって残っていく。圧縮されているといってもいいかもしれませんね。そして、そのレイヤーはすぺて透けて見えている。そして、通りかかった旅入が古人の魂と出会いたいと願って歌や句を読むと、それが解凍装置になって、固まっていた思いが溶け、亡霊が出てくる。それが能の物語なのだと私は思っています。そもそも歌枕の「枕」という言葉自体がもともとは「真蔵」、つまり真実の蔵であり、本来はそこに神霊を呼ぶものでした。神霊が宿 った真の蔵を頭に当てて巫女が眠る。すると巫女に神が乗り移って御託宣をした。つまり歌枕は様々な出来事や思い出を収めた蔵だというわけです。

-それが、歴史上重要な役割を果たした土地に歌枕が作られた理由というわけですね。

安田 もちろん土地の思い出というのは特別な場所だけでなく、どこでもあります。芭蕉に「夏草や兵ともが夢の跡」という有名な句がありますが、夢の跡で兵どもは誰かがそこに来て夢を覚まされることを望んでいる。先ほど、能は生者の鎖魂になると申しましたが、やはり一義的には鎮魂は死者のものです。そこは絶対に外せない。そうした視点を保ったま、私たちが呼び覚まされることを待っているのが日本という国なのではないかと思います。

『幻影師アイゼンハイム』とそれにまつわるシンクロニシティについて

『幻影師アイゼンハイム』(げんえいしアイゼンハイム、原題:The Illusionist)という映画を見て、面白いと思ったことがある。Wikipedia で調べて原作を読もうと思ったほどだ。’2008年5月24日に公開’とのことなので、その頃の話だ。私の心に強く残った映画だったが、いつものように記憶の彼方にしまわれていた。この映画が2013/4/19にNHK/BSにて放送された。たまたまだが、番組表をチェックしたときに見つけ、録画しておいた。2013/4/25、たった今その録画を観終わったところだ。

これに先立つこと一月前、八幡町のツタヤ書店で面白そうな本を見つけた。後日のため、写真を撮っておいたのだが、撮影日は2013/3/24となっている。生きる 死ぬ その境界はなかったという本だ。タイトルが今の私の信条に近いものがあったのだ。早速図書館で予約しようとしたのだが、仙台の図書館には在庫が無かったので、代わりと言ってはなんだが、同じ著者の死者との再会人は死なない-ある臨床医による摂…を借りた。2013/3/31のことである。

借りてからは、寝る前に少しずつ読んでいるが、まだ返していない。そろそろ督促が来そうだ・・・。ということで、パラパラと読んでざっくりと紹介すると。

「人は死なない・・・」は、東京大学大学院医学系研究科・医学部緊急医学分野教授・医学附属病院救急部・集中治療部部長の矢作直樹氏が著者で、最近のスピリチュアル系の書籍によく並んでいるである。アカデミックな医学者が、スピリチュアル近辺の事柄を平易に解説した本である。

死者との再会は、予想していなかった鏡視の本であった。白雪姫で、魔法使いが語りかける「鏡よ、鏡よ、鏡さん・・・」である。鏡視の技術を利用して死者との対話を図るという書籍である。私があまり本気にしていないジャンルだったのだが、この本のお陰で、見直すことができた。ダウジングとかはやってみて、実際に使えることはわかったので、今度は、この鏡視を是非やってみようと思う、とはいっても、実際の鏡を使用してというのは難しいみたいなので、水晶でかな。

ということで、死者との再会の中で、キモと思われる部分-死者との対話のための部屋-について紹介してみよう。104-113頁部分だ。

 

現代のプシュコマンテウム

白昼に夢を見る者は、夜にしか夢を見ない者が気づかない多くのことを認識している。  エドガー・アラン・ポー

歴史をたどって鏡視の役割を研究した後、わたしは死者との面会の手助けを古代ギリシア人と似た方法でやってみようと考えた。

わたしが考案した方法なら、生者のあいだに死者を呼び出すことができるに違いない。だが、その方法を実行して危険はないだろうか? そう思って、死者の幻像の研究では第一人者のウィリアム・ロール博士に相談してみた。博士は、白分の知るかぎり死者の幻像を見てひどい目にあったというケースは一件もない、と教えてくれた。ホラー映画や本のせいで、死者の幻像を見るのは危険なことだというイメージが広まっているが、実際はそうした体験は悲しみを和らげ、ときには解消することさえあり、むしろ人々の役に立つことがわかった、と博士はいった。

わたしの考えた方法を実践するには、まず特別な環境を整える必要があった。そこで、アラバマにもっていた古い粉ひき小屋の二階を改造し、現代版の死者の託宣所をつくり上げた。死者の幻像を見るという目的は古代ギリシアの託覧所と同じで、設備だけ近代化したものをつくったのである。

まず、幻視を体験する場所としてひと部屋を用意した。部屋の一方の壁には、高さ一・ニメートル、幅一メートルの鏡を、底部が床から九十センチ上にくるように取り付けた。

次に、座りごこちのよい安楽椅子を用意し、背もたれのてっぺんが床から九十センチの高さになるように脚を切った。その椅子を鏡の九十センチ手前に置き、ほんの少し後方に傾ける。そうすれば、楽に座れるだけでなく、鏡視者の姿が鏡に映らなくなる。そのくらいの角度にすると、鏡を見たとき深い奥行きが出て、しかもそこには見ている人の背後の闇しか映らない。つまり、鏡の中に澄みきった深い暗闇ができるのだ。

 その暗闇を確保するために、椅子の周囲には天井から黒いベルベットのカーテンをつるす。カーテンレールは鏡と椅子をぐるりと囲む形に塗っているので、そこにカーテンで仕切られた小部屋ができあがる。小部屋の中の、椅子のすぐ後ろには、十五ワットの電球がついた小さなステンドグラスのスタンドを置く。これで部屋全体の明かりを消し、窓についた厚いカーテンとブラインドで外光を遮断すると、スタンドのほのかな光だけが室内唯一の照明になる。

闇の中の薄明かりと、深みをのぞける鏡を備えたこの単純な部屋が、鏡視を行う理想的な環境となる。これでわたしの理諭を実証する準備が整ったわけだ。

 初期の実験

最初に設定したのはごく単純な問題だった。環境を人為的に調整すれば、健康で正常な人が愛する故人の幻像をいつでも見られるようにできるだろうか?この問題を調べるため、実験に協力してくれるという人を十人集めた。

 この種の実験を行うときの常として、被験者は一定の条件に基づいて選んだ。以下はその条件である。

・分別があり、人間の意識に関心をもっていること

・情緒的に安定していて、好奇心が強く、自分の意見をはっきり表明できること

・情緒的または精神的な障害を持っていないこと(これは、被験者に悪い反応が出る可能性を避けるための条件である)

・神秘主義的なイデオロギーを信じていないこと(そういう傾向があると、実験結果に影響するので分析が難しくなる)

 これらの条件にあてはまる知人を候補として、カウンセラー、精神科医、医者、大学院生、その他さまざまな職業の人に声をかけた。

 実験の目的は、被験者全員に詳しく説明した。これからやろうとしているのは、あなた方がずっと親しくしていて、もう一度会いたいと思っている故人を呼び出すことです、と話したのだ。それから、その故人のもち物で、故人と強く結ひつき鮮烈な思い出を残している遺品をいくつか選ひ出すように頼み、実験当日、その品々をもってきてもらうことにした。

 実験するのは1回に一人だけと決め、日取りを調整した。各被験者には、当目の朝十時に、遺品と、できればアルバムを持参してきてもらう。服装は身軽に、靴も歩きやすいものを、と指定した。

 朝食は軽めに取るのはかまわない。ただしコーヒー・紅茶なとカフェインを含む飲み物は控えてもらう。

被験者が到着すると、まず一緒にのんびりと田舎道を散歩し、そのあいだに被験者がどんな動機でその故人に会おうとしているのかを話し合う。そのとき、故人に会えるといっても確かな保証はないと話すことにしている。絶対に会えるとまでいい切れないのは事実だが、実はそう念を押すことには隠れたねらいもある。どうしても故人に会わねば、というプレッシャーを取り除きたいのだ。そういうプレッシャーがかかると、被験者は不安になり、結局故人に会えるチャンスも減ってしまう。

 散歩がすむと、スープ、サラダ、果物に、フルーツジュースまたはカフェイン抜きのソーダといった軽い昼食を取る。その後、腰を落ち着けて話し合い、故人のこと、それに故人と被験者の関係について細かく探っていく。このときは、故人がどういう人だったか、その容貌から癖にいたるまであらゆる面を取り上げて、人物像を浮き彫りにする。

 被験者はたいてい、重要な意味をもつ、感動的な思い出を話してくれる。話し合いのあいだ、遺品はわたしと被験者のあいだに置かれ、被験者はそれをしばしば手に取る。

遺品の中には見るからに心に迫るようなものもあった。ある男性は、父親の釣り道具をもってきた。姉の帽子をもってきた女性もいた。そういう具体的な品々は、強烈に心に働きかけて亡き人をしのばせてくれるのだ。

 一部の被験者には、幻視の部屋に入る前に、スタッフのつくった特製のべヅドに横になってもらった。リクライニング式で寝ごこちのよいそのベッドには、スピーカーがついていて、そこから流れ出す音楽が骨格を通じて体のすみずみにしみ渡り、深いくつろぎの状態をつくり出す。このベッドは、くつろぎのレベルを高める目的で、被験者の約半数に使ってもらった。

 こうした準備をタ方まで続けてから、被験者を幻視の部屋に導き、小部屋のスタンドだけつけてほかの明かりを全部消す。それから、鏡の奥深くを見つめ、リラックスして、雑念を払い故人のことだけ考えるよう指示する。幻視の部屋には好きなだけいられるが、時間が気にならないように腕時計ははずしておいてもらう。

 実験の最中には、隣室にアシスタントが控え、何かあったら手を貸すことになっている。被験者が部屋を出てきたら、しめくくりとして、何が起きたか話してもらう。このとき被験者は、思いきり感情をはき出し、自分の体験について気がすむまで話してよいことになっている。この体験報告は、→時間以上続くこともある。わたしのほうから話をさえぎったり、せかしたりすることはない。この実験は、被験者自身が終了と決めた時点で終了するのだ。

  -そこには生身の母がいました」

 ここで被験者の典型として、亡き母親に会いたいといってきたある男性のケースを紹介しよう。彼は、わたしがニュージャージーの講演会で鏡視の可能性について話したのを聞いてやってきたのだった。                        

 話を聞いてみると、前年に亡くなった母親が恋しくてならないという。彼は幼いときに父親を亡くし、母親の手一つで育てられていた。そのため、母親とのあいだに普通より強いきずながあり、亡くなって以来ずっと悲しみにくれていたのだ。

 本人の経歴を尋ねると、歳は四十代半ばで、ニューヨーク市の公認会計事務所で高い地位についており、心理的な問題で医者などにかかった経験はないということだった。

 この男性は鏡視実験の優れた被験者になるだろう、とわたしは思った。実験の過程を理解する能力をもち、やる気がある上に、先に述べた条件にもあてはまっていたからだ。

 そちらへうかがって実験に参加したい、といわれたときは、期待に胸が躍った。当日彼を迎えると、先に述べた手順に従って準備を進めた。午前中は長い時間をかけて田舎道を散歩し、彼がなぜ亡き母親に会いたいのか、その動機について話し含った。常々思うことだが、運動は人の気持ちを解放するのにたいへん役立つ。心理学者の中には、散歩やランニングを蕪本的な治療法に取り入れている人もいるぐらいだ。この実験でも同じことがいえる。彼は散歩のあいだに母親のことを話し始めた。母親が女手一つで彼を育てるためにどれほど犠牲を払ったかという話をしたときは、胸が一杯になったようだった。

 「亡くなる前の母は、重い病気に苦しんでいました」と彼はいった。「もう一度母に会いたい理由には、母がいまとこにいるにしてもとにかく幸せであることを確認したい、そんな気持ちもあると思います」

 昼食の後は一緒にアルバムを広げ、何枚もの写真を見ながら彼と母親がともに歳を重ねていく姿を追った。最初のほうの写真にはたくましく幸せそうな女性が写っていたが、最後のほうでは老いと病にやつれた姿に変わっていた。彼が母親とほほを寄せ合っている写真もあった。写真の中の彼はほほえんではいるが、母親の衰弱ぶりが心に重くのしかかっているのが見て取れた.

 その後、彼が持参した遺品について話し合った。それは母親が晩年に着ていたセーターや、若いころかぶった帽子などだった。

 「服には思い出がしみついています」遺品について説明したとき、彼はそういった。「母の感触や、母のしぐさまで思い出せるものをもってきたかったんです」

 夕方になると、彼を幻視の部屋に通し、実験の手順を説明した。それからわたしだけ部屋を出た。彼は一時間ほどして出てきた。晴れやかな笑顔で、ほほには涙の跡が見える。いまの体験でとても元気づけられました、と彼はいった。そこでオフィスに場を移し、何を見たのか話してもらった。鏡の中に見えたのは間違いなく母です! どこから現れたのかは知りませんが、そこには確かに生身の母がいました。母は鏡の中からこちらを見ていました。服装はよくわかりませんでしたが、歳は死んだときと同じ七十代後半だったと思います。でも、死ぬ前より元気で幸せそうでした。

 唇は動きませんでしたが、母はわたしに話しかけ、そのことばははっきり聞こえました。「わたしは元気よ」といって、にっこりしたんです。

 わたしはすっかりくつろいで、ただ母を見ていました。両手がしびれたような感じで、心臓の鼓動が早くなったのがわかりました。その後、こちらから話しかけてみました。「また会えてうれしいよ」というと、母が「わたしもよ」と答え、それで終わりでした。母はすっと消えてしまったんです。

  この体験によって、彼は母親の死を心穏やかに受けとめられるようになった。「あのとき見聞きしたことからだけでも、母がもう最期のころのように苦しんでいないことがわかります」彼はそういった。「それだけでも、ずいぶん気が楽になりました」

 この被験者は、母親の姿は確かに鏡に現れたと思っていたが、それがどこからきたのかについては結論が出せなかった。自分の記憶がそういう形で現れたのかもしれないし、本当に母の霊魂だったかもしれない、と彼はいった。いずれにせよ、答えはこうだと断定するには至らず、このようにいったのだ。「なぜあんなことが起きたのか、確かな理由はわかりませんが、母に会ったのは事実です」

 驚くべき成果

 わたしは鏡視実験をまだ一度も行わないうちから、この実験で死者に会える確率はごくわずか、おそらく十人に一人ぐらいだろうと予想していた。また、死者に会えた被験者はだれもがその”現実味”を疑い、自分の体験は”本当にあったこと”なのか単なる”想像”なのか、判断しかねるだろうと思っていた。

 しかし実際の結果は当初の予想とは驚くほど違っていた。ほんの十回ほど実験しただけで、死者の幻像を見るという人類共通の体験は再現可能鞍ものとわかったのだ。そのとき被験者となった十人のうち、五人が死んだ親族の姿を目にした。施設を改艮し、わたしの腕が上がってからは、さらに成功率が高まった。それでも最初のころの実験を思い返すと、いまだに驚異の念を禁じ得ない。

 鏡視の危うさについて言及している箇所もあったので、それも紹介しておこう。

 ここで、わかっていることを一つあげてみよう。無意識の領域にある不快な思考や記憶、あるいは衝動が意識の領域に浮かび上がろうとすると、人はしばしば不安にかられる。このだれにでもある経験を、フロイトは<不安信号>と呼んだ。

 一部の人が鏡視をタブーと見なす理由の一つに、無意識の心にあるものが一気に意識の中に流れ込むことに対する恐怖感がある。無意識の記憶や感情がおもてに出ればひどいことが起きるのではないかーたとえば、困惑におそわれたり、自制心を失ったり、取り返しのつかないことをして恥をかいたりするのでは、と恐れるのである。

 鏡視の最中に無意識の心が浮かび上がることは確かにあるが、それは一部の人が思うような恐ろしいことでは決してない。たいていは有益で、その人の成長や発達に役立つことなのだ。

 鏡視は危険な思考や衝動を呼び起こすものだと非難する人がいるが、わたしの経験からいえばそれこそが鏡視の利点である。そのことをよく示す話が、古典学者W.R.ハリディが一九一三年に著した『ギリシアの占い』に載っている。わたしが七年の歳月をかけて鏡視について調査した中で、鏡視に関連して心理学的に不幸な事件が起きた例は、この一件しか見つからなかった。

 ハリディはその話の中で鏡視を”迷信”と呼び、こう述べた。「教育が受けられず、ほかの人のように見識を得る機会をもたなかった人々のあいだで、鏡視は迷信以上に深刻で悲惨な事件を引き起こしてきた。一九〇一年十月二十八日付『マンチェスター・ガーディアン』紙には、カディフの郵便局員の妻がガス自殺を図った件に関する検視官の報告が戦っている。その女性の義父の証言によれば、彼女は前の週に占い師を訪ねており、帰宅後『いわれたとおり水晶球をのぞいたら、自分が椅子に座ってガス自殺を図っているところが見えた』と話したという」

 ハリディはこの痛ましい話から、鏡視者の存在を許してはならないという教訓を引き出したようだ。彼はこの女性が自殺したのは水晶球に見た幻像のせいだといいたいらしいが、精神医学の専門家ならほとんどの人がそうではないことに気づくだろう。この場合、因果関係は逆なのだ。幻像を見たのも、そしておそらくは占い師を訪ねたこと自体も、彼女が抑鬱状態にあったために起きたことである。この女性は占い師を訪ねる前に、もう自殺寸前の抑鬱状態にあったのだ。水晶球に見えた幻像は、彼女の無意識の心の投影にすぎない。 50-51頁

 話を先に進めると、冒頭に述べた『幻影師アイゼンハイム』(げんえいしアイゼンハイム、原題:The Illusionist)という映画は、実にこの「鏡視」が全編にフューチャリングされていた映画だったのだ。最初見たときは、単なる奇術映画だったんだという認識しかなくて、「鏡視」については思いつかなかったし、記憶にもありませんでしたが、いやはや、この「鏡視」がなければ、この映画が始まらないといっても過言ではないくらいに「鏡視」の映画であったことにはびっくりしました。

せっかくですので、この『幻影師アイゼンハイム』のストーリィをご紹介すると・・・、

 ピュリッツァー賞受賞作家スティーヴン・ミルハウザーの同名短編小説を「レッド・ドラゴン」「25時」のエドワード・ノートン主演で映画化した幻想ミステリー・ロマンス。19世紀末のウィーンを舞台に、身分の差ゆえに一度は諦めた初恋の女性を巡って、一人の天才幻影師が自らの奇術を駆使して時の皇太子に果敢に立ち向かう姿を、妖しくも格調高く描き出す。共演はポール・ジアマッティ、ルーファス・シーウェル、ジェシカ・ビール。監督はこれが長編2作目の新鋭ニール・バーガー。

 19世紀末、ハプスブルグ帝国終末期のウィーン。イリュージョンが見せ物として隆盛を誇る中、天才と評され絶大な人気を集める幻影師、アイゼンハイム。ある日、評判を聞きつけた皇太子レオポルドが観覧に訪れる。ショーの途中、皇太子が同伴していた婚約者を舞台に招いたアイゼンハイムは、彼女が幼なじみのソフィと気づき動揺する。かつて2人は互いに愛し合いながらも、階級の壁の前に引き離されてしまったのだった。そんなアイゼンハイムは王宮に招かれた際、皇太子の前で挑発的な態度に出る。これに逆上した皇太子は、自らに仕える警部ウールにアイゼンハイムの追い落としを命じるのだったが…。

というような内容(http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=327031)ですが、体制に迎合することなく、誰が見ても不可能なことに挑むというストーリィは、良かったですね。また、このアイゼンハイムの哲学的思考がまたいいです。幼馴染の皇太子のフィアンセ、ソフィにベッドの上で自らの旅について語る個所を紹介してみましょう。

 ソフィ:逃げて 最初はどこへ (身分の違いで、二人は引き離され、アイゼンハイムは逃亡する)

アイゼンハイム:プラハのおじの農場

ソフィ:なんて素敵

アイゼンハイム:次はロシア・・・、小アジア・・・そして長い間東洋にいた。

ソフィ:長かったわ(so long…,)

アイゼンハイム:戻ろうとした。・・・でも・・、すぐ そこにありそうで・・・。(I was meant to return. …I just…,I was thinking I just finding it after trying the next corner

ソフィ:なにが?(what?)

アイゼンハイム:本当の謎 (A real mystery)

ソフィ:・・・(不思議そうに顔を見上げる)・・・

アイゼンハイム:奇跡を見てきた・・・唯一 解けなかった謎は・・・君を忘れられない自分の心 (I saw remarkable things…The only mystery that I ‘ve never solve was my heart could not leave you.)

 後半、大事だと思うのでセリフの原語、列記しておきました。耳がよくないので違っているかもしれませんが・・・。最後の決めセリフ(!?)は、果たして口説き文句にはなるのでしょうか?ちょっと疑問ですが・・・、いいセリフです。

 ということで、そろそろ〆の時間ですが、なにが言いたいかというと、「シンクロニシティ」です。「鏡視」にまつわることが立て続けに起こってしまいました。不思議ですね。ここまで、来ると、何としても私の前に、ソフィのような美人に現れてほしいところです。

と書いたところで、さらに気づいてしまいました。うーむ、しかしこれはあまりうれしくはない・・・。2013/4/23に見た映画「ヒッチコック」にヴェラ・マイルズ役で、ソフィ役のジェシカ・クレア・ビール(Jessica Claire Biel)がしっかり出演していたではありませんか!? 映画「ヒッチコック」のヒッチコックは60歳と私の齢と同じですが、これは、あまり関係ないか。

[メイカーズ]21世紀の産業革命が始まる/クリス・アンダーソンを読みました。

[メイカーズ]21世紀の産業革命が始まる/クリス・アンダーソンを読みました。今年の正月に、読もうと思ったのですが、欠品で手に入らず、とりあえず図書館に予約していたところ、今月の初めにようやく借りることが出来ました。しかしながら、読む時間がなく、つん読していたところ、本日、返却の督促電話を受けることになりました。

ということで、せっかくの土曜日ではありましたが、返却すべく、珍しく読書に集中しておりました。

web時代の革新性を表現した「ロングテール」や「フリーミアム」とおなじように「メイカーズ」という言葉が、リアル社会をweb化する革新性になるという本でした。本書では新産業革命などとも表現されています。概略は、上記リンク先のアマゾンサイトをご参照ください。私自身の経験としては、本書でも紹介されていたMake: Technology on Your Time Volume 10に触発されて、ブレインマシーンをメイクしたことが実はあるんです。5、6年前のことですから、今となっては革新的だったかななどと思っております。同じころにラジオニクスを組み立てたりしていましたから、メイカーズというよりは、しようもないもの、売っていないものを自作していたというところでしょうか。

今後は、変革のツールともいうべき、3Dプリンタ、CNC装置、レーザーカッター、3Dスキャナーの低価格化/普及により、リアル社会にWEBがつくりあげたような革新がもたらされるということですが、間違いなくその通りだと思います。

ということで、訳者による後書き部分を紹介しておきましょう。

アンダーソンが指摘するように、ほんのひと昔前まで産業機械だったコンピュータやプリンタは、「デスクトヅプ」とは対極にあるものだった。しかし、ひとたび「デスクトップ」と「コンピュータ」が結びついたとき、人々の生活が大きく変わった。そしてそれがインターネットにつながったとき、革命が起きた。でも、それはまだ本当の革命ではないのです。本当の革命は、それが実体経済に影響を及ぼすとき、つまりもの作りのやり庁が変わるときに起きるのです、とアングーソンは言う。「デスクトップ」と「工作機械」が結びびついたとき、それまで大企巣のものだった製造の手段を個人が持つようになり、ビットの世界で起きてきた革命がアトムの世界で起きるのです、と。ステイーブ・ジョブズがパーソナルコンピュータを通してして世界を変えたように、製造の手段を持つ無数の個人、つまり「メイカーズ」が世界を変えることができるのだと言う。しかも、それが社会と経済に及ぼす影響は、ビット世界の「フリー」や「ロングテール」よりも、はるかに大きく、深いものになる、と。
個人によるもの作りの革命をあと押しするもうひとつの大きな変化は、グローバルなサプライチェーンが個人にも開かれてきたことだ。材料を調達し、部品を製造し、それらを組み立てるプロセスは、これまで大企業に独占されてきた。それが、ポノコやシェイブウェイズなどのウェブ
の製造委託サービスや、アリババなどのマヅチングサイトを利用することで、プロ用の工作機械を所有しなくても、個人が大企業と同じ製造能力を手に入れることができる。お金がない? だったらキックスターターで資金を集めればいい。それを売るには? ウェブサイトを立ち上げてオンラインで販売すればいい。製造業を起業しようと思ったら、パソコンとインターネットがあれぱこと足りる。ウェブ企業の立ち上げと同じくらい簡単に、製造業が立ち上げられる時代が来たのだ。自分が欲しいものを作って、ほかの人にそれを販売することもできる。ビット世界のニッチな音楽や書籍や映像と同じことだ。そう、「モノのロングテール」がやってきたのだ。
「モノのロングテール」の作り手は、エッツイーに手作り吊を出品する職人たちだけではない。
メイカーたちは、趣味をビジネスにして、「モノのロングテール」を埋めている。一個でも、一〇〇万個でもなく、数千個から数万個の単位でニッチなモノを顧客に届けている。たとえば、レゴ社が手を出さない領域でレゴのアクセサリを製造するブリックアームズ。特殊な電子部品を製造販売するスパークファン。オープンプラットフォームで自動車を製造するローカルモーターズ。
そして、アンダーソンの趣味が高じて事業となった3Dロボテイクス。
非常に興味深いのは、ビット世界の急成長企業がフリーの上に成り立っているのに対して、オープンプラットフォームの上に作られたこれらのメイカー企業が最初からキャヅシュフローを生み出していることだ。こうした企業は、前作でアンダーソンが唱えたフリーのモデルを逆手にとり、「ビットの世界の潤沢なフリー」を利用して、「アトムの世界で希少性から利益を生み出して」いる。ウェブ上に存在するコミュニティは、「フリーな」開発、マーケティング、顧客サポートを堤供してくれる。ネットの荒野の中から顧客がニッチな製品を見つけ出してくれるのは、「フリーな」検索のおかげだネットの店舗なら、家賃もかからない。その上、自分だけの二ーズを満たしてくれる希少な製品に、消費者はプレミアムを支払う。フリーを活用すれば、大量生産によらなくても利益を生むビジネスモデルが築ける。無料のビット経済の上に、貨幣経済における富が生み出され、無数の個人がそれを分け合っている。そしてここに、先進国の未来がある、とアンダーソンは言う。ビヅトをアトムに、アトムをビットに変えるデジタルな製造手法と、潤沢な「フリー」によって、製造拠点の違いによるコストの格差はなくなり、より良いアイデアを持つ無数のニッチな企業の総和が経済を動かすようになる、と。それが、これからの一〇年に起きる本当の革命なのだ。そして本書は、その「これからの一〇年」を描いたものだ。
著書『ロングテール」でも、また『フリー』でも、アンダーソンはこれまでなんとなくみんなが感じている時代の流れを概念化し、それが社会と経済に与える意味を説いてきた。発表当初には「なんとなく言いたいことはわかるけど、その具体的な将釆像が描けない」と思われていた「フリーミアム」も、わずか数年後の現在では説明するまでもないほど当たり前のものになった。『メイカーズ』で描かれた未釆もまた、数年後には当たり前の現象になっているかもしれない