初めてのリクエスト

これはほんのちょっと前の話。日にちはしっかり覚えている、2017年の7月12日だ。
この日僕は市内を午後に車で走っていて、カーラジオでNHKFM放送を聞いていた。
放送では、1925年7月12日にNHKの前身の東京放送局が日本で初めてのラジオ本放送開始した日に因んで、視聴者が初めて放送番組にリクエストしたことについて話していた。
番組につられて僕の初めてのリクエストはがきを思い出していた。

高校二年生だった。
当時、深夜番組は受験生にとっては欠かせないものだった。ローカル番組のエーエムオーがやたら人気で、クラスを挙げてこの番組に参加していたかのようだった。
なんでも、クラス全員の組織票を使って、童謡「お馬の親子」をこのローカル番組のヒットチャートで一位を取らせようというプロジェクトが立ち上がっていた。そして、その一環で僕にもリクエストはがきが配られてきたのだった。
とはいえ、リクエストはがきに、「お馬の親子」以外は、何を書いていいのか皆目見当がつかなかった。
というのは、その頃の僕は、クラブ活動に一生懸命だった時期で、それ以外の時世には全く疎かったのだ。そんなことなので、結局、はがきには「アイアムア・バタフライ」と大きな字で埋めた。バタフライとは、僕の専門の競泳方法だったからだ。ひょっとしたら、競泳の図柄なんかも描いていたかもしれない。
その頃の僕は、頭が空っぽの体育会系そのものだったような気がする。

しばらく、リクエストに因んだ高校生時代の情景が次から次へ浮かんできていたのだが、番組も終わりに近づいてきたようで、リクエストされた曲のタイトルを告げていた。知らない曲だったけど、タイトルには驚いた、
「摩天楼バタフライ」という曲名だった。

人生は、このようなシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)に溢れている。

シンクロニシティを提唱したのは心理学者ユングであるが、背景には、易経などの東洋思想がある。
また、バタフライ、蝶々であるが、人の霊が死後蝶に変わるという話は各国に存在し、それに類した話には中国の「胡蝶の夢」、すなわち魂が蝶となって夢の中に遊んだ話がある。蝶になった夢か、人になった夢か。人が死を迎えて身体から魂となって抜け出す様子を、蝶が蛹から羽化する様子に例えたものだと考えられる。

高校時代にお世話になった先輩が先日お亡くなりになった。
蝶々になった先輩が、あの世でさらに活躍することを祈念している。

お盆に郵便局に行ってきた その2

今日も午後から郵便局に行ったら、昨日とは違いたくさんのお客さんがいた。
海外への郵便物を出した帰り際に昨日の女性職員の方が、昨日の不思議な話への礼を言いながら飴をくださった。
とても楽しかったのだそうだ。
僕を霊能者のように勘違いされているようなので訂正をしておいた。なにも見えないし、なにも聞こえないただの人間だってね。
ただ、昨日の種明かしをすると、世間は、みんなが思っている以上に不思議な話に満ちている。
具体的に言うと、不思議な体験をされている方は2割以上は当たり前にいる。つまり、4人か5人に一人は不思議な話を持っているということなのだ。
昨日は、僕をいれて4人の人間が居合わせていた。だから、僕は自信をもって不思議な話を提案することができた。
さらにいうと、不思議な話がその場にないのなら、僕の脳裏にそのような提案が思い浮かぶわけがないだろうということもあったよね。
また、昨日の話がとても楽しかったというのはある意味当たり前かもしれない。なぜなら、鎮魂とは最高のエンタティメントであるからだ。
死者が主人公となる日本特有の芸能「能」は、ワキ(旅人)の登場で始まる。そうするとどこからともなくシテ(死者)が顕われ自身の物語を語りながら舞をみせる。
ワキもシテも、物語を鑑賞する観客も、能舞台を楽しむということで、自身の思いや残念を昇華しているのだ。
昨日の支店長代理は旅人であり、シテは手形の持ち主であった。めったに顕われることのない残念は、機会を得て表出することにより鎮魂を授かることになったのだと思っている。

お盆の盛りに近くの郵便局に行った

午前に引き続き、午後も先ほど郵便局に行ってきた。
お盆だけど、休みではない郵便局。客もいなくて、僕の貸し切り状態が続いている。職員は、所長代理一人と女性が二人。所在無げな彼らの視線の先に僕がいるわけだ。いつもお世話になっているお返し、しなくちゃね。

「お盆でもあることだし、どうでしょ、不思議な体験を話し合いましょうか。」
女性陣がえ~と言葉を返す。彼女らにはそんな体験は無いという。僕にもそんな体験は無い。
そんな三人の視線は、残された所長代理に向かうと、自信ありげな所長代理がいつもよりゆっくりと満を持したかのように話を始めたではありませんか。

所長代理が25歳ぐらいのころ(20年ぐらい前)、福島から新潟に向けて深夜に車を走らせていた。曲がりくねった山道に入ってふと気が付くと助手席の前のフロングラスに手形のようなものがついている。
あれ?と気が付いて不思議だなと思い始めたところ、車がトンネルに入ったり、橋を渡ったりする都度に手形が増えていくではありませんか。
恐怖の中で、所長代理はひたすら車のハンドルを握り続けたのであります。
明け方に新潟についてから見つけたガソリンスタンドに立ち寄り、そのころにはもう窓ガラスいっぱいに付いてしまった手形を拭いてもらうように声を絞るように頼んだそうです。手形は、内側からつけられたもので、容易に拭き去ることはできなくて、スタンドマン達も往生したそうです。

・・・ということで、思いもしないお盆の話が、あらかたの輪郭を顕わして、質疑応答に入り始めたころには、局内は活気に満ちてきたようでした。
新しいお客も入ってきたのを機会に、さよならを言って、郵便局を後にしたのでした。

映画「三丁目の夕日’64」について再考

今日、たまたま5年前の自分のブログを読み返す機会があった。映画「三丁目の夕日’64」の感想だつたのだが、男女の出会いに触れた箇所があった。

@@@映画では、男女のカップルが三組登場します。子供が生まれます。茶川のお父さんが死にます。その中でさまざまな情景が映しだされるわけです。私の琴線にふれた箇所は二カ所。堀北真希と森山未来の最初の病院での出会いのシーン。うでに怪我した堀北に森山が、「キズは残るが、勲章のようなキズだ」と評価する場面が一つ。もう一つは、茶川が息子のようにかわいがっていた古行淳之介を家から追い出すシーンです。

男女の出会いは一瞬で決まるような気がします。「キズは残るが、勲章のようなキズだ」という言葉をきっかけに堀北は森山に恋をするわけですが、それすらもある種の理屈です。堀北が恋をしたのは、そのうでに手当をした森山の掌の感触かもしれないし、そのときの眼差しかもしれません。出会ったときの瞳だったかもしれません。いずれにせよ、表現できないもの、しかしながら「何か」が堀北の心をゆさぶったわけです。森山も堀北の「何か」に心を揺さぶられたわけです。二人の行く手に迷いが生じた中で、堀北は、その「何か」を信じ、すべてを賭けたのですが。そこに私は涙しましたね。@@@

続いて、先日のサイコロ占いで、男女について述べた箇所

@@@例えば、ある人を好きになったとしよう。顔が好みとか、背が高いとか、気持ちが優しいとか言いがちだが、それは後だしジャンケンのようなものでしかない。過激な言い方をすれば、出会う前から好きだったというのが真実である。@@@

見事にぶれていませんね。しかも、進化している。この5年間で、より簡潔に、かつ直感的になっています。

以上、自画自賛してみました。5年前のブログですが、読み返すとなかなかいいことを言ってます。興味のある方は是非ご覧ください。

ALWAYS 三丁目の夕陽 ’64

八面体サイコロによる易占いをご紹介。

物語、ストーリィは可逆性のない時間を生きる我々人間には唯一の表現方法と思われがちだが、そうではない。

例えば、ある人を好きになったとしよう。顔が好みとか、背が高いとか、気持ちが優しいとか言いがちだが、それは後だしジャンケンのようなものでしかない。過激な言い方をすれば、出会う前から好きだったというのが真実である。

言葉とか物語は、群盲が象を撫でるようなもので、いつまでたっても象はつかまえることはできない。象は撫でる前から象なのだから。

物語とは、起承転結からなるもので、因果律からなる。これに対峙するのが共時律なのだが、実は我々はあまり慣れていない。共時律の向こうに、象は立っている(かもしれない)。

という前ふりで、紹介するのがサイコロ占いであります。ビデオを作成しましたので、興味のある方はご覧ください。ただし、約20分。長いかな。

勢いで作成したものですから、微妙に間違っている箇所が多々あります。ご留意ください。

易卦の吉凶一覧表を下に掲載しました。印刷して携帯してもらうと、簡単にいつでもどこでも吉凶を占うことができます。