工藤美代子著、炎情―熟年離婚と性

炎情―熟年離婚と性を読みました。面白くなかったですね、残念ながら。途中から、惰性で読んでいて、面白いところもあるのではないかと思っていたのですが、最後までダメでした。

熟年離婚と性という切り口ではこういう風にならざるを得ないというか。元々、離婚と性(結婚と性?)はあまり関係ないのではないかなと改めて思いました。離婚した女性に性を尋ねれば、こんな風にしか応えられないだろうし、それはやはり後味の良いものではありません。それに具体的すぎるというか、露骨といおうか、詳細な事例には正直辟易したというところです。敗軍の将、兵を語らず。別れた男女は、性を語らずということだと思うのですが、いかがでしょうか。それでは、本にならないといわれればその通りなのですが・・・。

一緒にいたくないから離婚するのだろうし、交わりたくないからセックスをしないわけで、そこに理屈をつけようとすると本質からはどんどん遠ざかってしまいます。大きいとか小さいとか醜いとか変態だとかは、結果から導き出されたもので、後付けの原因にしかなりません。バイブレーターとかSMとか、整形とかは語れば語るほどエロスから離れていってしまいます。

体は大脳皮質に比べれば正直ですから、やりたければ立つし、好きだったら濡れるでしょう。それを、バイアグラで立たせ、ホルモンで濡れさせたら、それは悲惨な結果を招くだけです。立たなければやらず、濡れなければ交わらずというのもありにしてはいかがでしょうか。

情交は経済とか生産性とかとは別のところにあるものなのに、そこに経済とか生産性をあげさせようとするから無理が生じます。確かに性は金になり、生産性をあげます(例えば、メディア・セックス (集英社文庫)参照)が、それを目的にしては過剰なストレスが人間にかかります。かからないはずがありません。そして、現代資本主義はすべて貨幣価値化しているため、そこで暮らす人間は、そこのところが分からなくなってしまっているのだと思います。そこに気づくのが、本当の性を知ることにつながると思っているのですが、どうでしょうか。後書きの部分で著者は次のように書いています。

それにもかかわらず、離婚という選択を自らの手で下した女性たちは、私か驚くほど逞しく、新たな生活の再建を始めていた。その生命力の強さと、英知に、私は何度も感動した。

彼女たちの胸の奥底にあるのは、「これで女としての人生を終わってたまるものか」という叫びだった。理性では、現状現状維持で安泰な生活が一番だと理解していても身体がそれを拒否するのだと語った女性がいた。

なるほど、心と身体が激しく亀裂するのが、熟年世代なのかと、私は、その言葉に納得した。

女性が閉経をしたら、もはや女性ではないといった観念は、まったく通用しないことを、私は取材の途中で何度も思い知らされた.もう孫かいる年齢になっても女性は女性であり、良いパートナーに恵まれれば、もう一度、豊かなセックスライフを送りたいと願っている。

男性もまた、熟年離婚をした後に新しい妻と再出発したいと、ほとんどの人が語っていた。

また、これは私の思い込みがあるのかもしれないが、熟年離婚した女性たちは何らかの形で

セックスに関して傷ついた過去を背負っているように見えた。

夫とのセックスライフが充実していたら、離婚はしなかったと語った経験者もいた。それは、一瞬にして起きる突風ではなくて、長い年月をかけて、少しずつ吹き付けていた北風により、ある日、彼女たちのこころも身体も完全に冷え切ってしまっていたという結末である。

それか、夫や妻の婚外恋愛や、介護問題などによって顕在化するのである。そのとぎに、もう我慢するのを止めるのは、自分の生命を維持するための決断とさえいえるような気がした。

間違ってはいないと思うます。ただ、年老いていく男女が若い男女のセックスを求める続けることが間違いなのではないでしょうか。バイアグラもバイブもいらない、年齢相応のセックスというものがあるとは考えられないでしょうか。もしくは、歳月を経たからこそできる男女の情交とか情愛があると信じることはできないでしょうか。若さを維持することや、歳を取ることを忌諱するのではなく、むしろ、前向きに歳を取る、人生を深化するという、ことをもう少し考えてもいいのではないでしょうか・・・。

ということで、この続きは近々にご案内したいと思っております(本当か?)。乞うご期待。

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