バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>

バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>見てきました。楽しい映画でしたね。デジタルリマスター最高に美しいバージョンとのことですが、確かにきれいな画面でした。内容とも、今の映画だといっても十分に通用すると思います。

ウイキペディアを参照したところ、1989年にオリジナル、1994年に完全版でリバイバルヒットしたということです。主題歌は大ヒットしたのは知っていましたけれど、映画がそれほどヒットしていたとは今まで知りませんでした。

映像、ストーリィ、脚本、配役。すべて良かった。出会えたことに感謝します。

久しぶりにOCRを使ってみた

久しぶりにOCRを使ってみました。

10年以上前に市販のソフトを購入して使って以来ですね。当時は、あまり使えなかったような気がします。何万円ものソフトでしたが、何回か使って、それっきりという感じです。たしかリコーとかそんなとこのメーカーのようなきがしますが、詳細は忘れました。

今回は、プログで書籍の引用をするつもりでしたが、数ページ分でしたので諦めようと思っていたのですが、OCRを思い出し、自分の使っている複合プリンター、ブラザーのDCP-165cを弄ってみたら、OCRソフトが付属しているではありませんか。

しかしながらというか、このプリンタで書籍をスキャンして早速使ってみたのですが、思うように識字してくれません。

プリンタの説明書をよんでも、OCRの設定がよくわかりません。

日本語には横書きと縦書きがあるのでですが、それすら設定するようにはなっていません。技術の進歩で、自動的に横書きとか縦書きを認識するのかなと思ったのですが、どうもそんな風には見えません。

しかしながら、プリンターのマニュアルを読んでも、OCRの説明はほとんどありません。どうやら、ブラザーさんは、OCRの利用はほとんどないと思っているみたいですね。実際に使う人もいないみたいで、ネットで検索してみても、不満を言っている人はいないようでした。

検索方々、フリーのOCRソフトを探したら、smartOCR lite edition 1.0というのが引っかかってきたのですが、どうも配布は中止されているようでしたが、http://ocr.rossa.cc/Lite/lite_index.html でなんとかダウンロードできました。環境を整備したり、使い方を憶えたりで、試行錯誤していたら、3時間くらい経ったかな。

時間の無駄かなと思いながら、何とか使ってみたら、あらびっくり。かなりの識字率です。これは時間を使った甲斐があったというものです。次回にはこのOCRを使って書籍を紹介してみますので、乞うご期待。

仏教が好き /河合隼雄 x 中沢新一

仏教が好き!読みました。かなりおもしろい。とんでもなくおもしろい。

河合隼雄さんが、中沢新一さんに教えを乞う形で対談が進んでいきます。河合さんの聞き上手とあいかわらず、というか、ますます冴える中沢新一さんの頭脳、博識に圧倒されます。まるごと食べちゃいたいぐらいの本です。

しかし、中沢さん。こんなにすごいのになんでオウムを擁護しちゃったの?

雑誌に掲載された麻原と中沢さんの対談を、私はたまたま読んでいました。河合さんとの対談に比べれば中沢さんらしくない薄っぺらい対談だったように思いますが、よく憶えてはいません。ただ、雑誌の掲載写真の麻原と中沢さんが微笑みが忘れられません。頭脳明晰も博識もつまるところ空しいものだった・・・、そういうことなのでしょうね。

ちょっと抽象的になりましたけど、具体的にいうと。たまたま、いまこの本のページをめくったところ、瞑想についてのところが開きました。その部分を以下に提示します。

河合--そのときにエックハルトとか西洋の神秘思想家たちがやはり瞑想していたということは大事なポイントです。

中沢--大きいと思いますね。

河合--「神に祈っている」との「瞑想」とはちょっと違って、瞑想の知恵の方へいくとエックハルトみたいになるのではないかな、と思ったりしますけども。

中沢--そうですね。井筒先生が「メタ宗教」という考えについて書かれたときに、イスラムでもスーフィー、神秘主義の方に入っていくと、ほとんどこれは仏教と同じになってくる、キリスト教だってユダヤ教だってカバらから神秘主義へ入っていくとだいたい同じになるとおっしゃっていることは、そのことに関わっています。媒介しているのは必ず神秘主義的な体験といわれているもので、これは瞑想です。

河合--確かにそう思います。

中沢--で、「瞑想とは何か」、一言でいうと、大脳新皮質の活動を停止させたときに見えてくるものがあると、そのことに尽きると思います。そのときに何か変化が起こってくる。これを井筒先生は「あらゆる宗教が突き抜けていく先がある」と表現されましたけれども、それを脳の中でどこに探していくかというと、大脳が新しい皮質の活動を停止させたときに、古い皮質が活動しし始めていきますよね。そのへんでしょうか

河合--その古い皮質が活動するときに覚醒度を持っていないといけない。覚醒の度合いが高くないといかんわけですよ。普通、新皮質を停止すると、全部寝てしまうんですよ。われわれが瞑想すると眠くなる(笑)。それをずうっと覚醒の度合いのレベルをちゃんと保持したままで新皮質の活動を停止する。この練習をしているのが瞑想やないでしょうかね。

中沢--その瞑想の練習には呼吸法が一番重要な働きをして、呼吸法がどうも間脳とか脳幹のあたりを活性化させます。古い皮質が煌々と目覚めていくる状態を作りだす、一つの一番確実な道は呼吸法になってくる。だいたいどの神秘主義的な瞑想法でもそれは言っています

河合--それと僕はやったことないんですけど、早くて深く深呼吸を持続させる過呼吸法ってどうなんでしょうね。たとえばトランスパーソナル心理学のスタニスラフ・グロフというおもしろい人がいるでしょ。あの人たちは過呼吸させるんですよ。やっているうちに変成意識が生じてくる。そういうのはどこか関係ありますかね。

中沢--あの人たちの探求には、ドラッグ体験がきっかけになっていますから、そっちからいくとグロフのような探求がでてくると思います。

・・・というような対談ですが、内容はきわめて正確ですね。で、問題は中沢氏は瞑想を実践しているのかということです。

逆にいうと、瞑想を実践している人間がオウムを擁護するようなことができるのかということです。これは理屈ではなく、結果です。

中沢氏の対談から言葉を使って、もう少し説明してみましょう。

大脳皮質、欲得や打算を考える場所ですが、これを働かせなくすると古い脳が活性化する。この古い脳は、直感的にすぐれていて、理屈に関係なく、危険が迫ると避ける。剣道や柔道の格闘技でもそうで、最終的には直感的な動きを働かせられるかどうかが生死を決める。

格闘技の条件反射的な体の動きだけとどまらず、決定的に危険な状態に陥りそうなときに、古い脳はありとあらゆる潜在意識をも利用し、時空をも超えて、危機から脱出を図ろうとする。

違う言い方で説明すると、もしくは意識的に説明すると、考えられない偶然が次々に重なり、どうしてもその危機に近づくことすらできなくなる。そうして、結果的に身の安全が維持される。「君子危うきに近寄らず」という言葉がありますが、これはまさしくそうです。意図する、せざるに関係なく、君子は危うきには近寄らないものなのです。

つまり、中沢氏とオウム麻原との対談は、中沢氏が瞑想を実践していれば、あり得なかったのではないかと私は思うのです。

ちょっと話がずれましたが、中沢氏の頭脳明晰さと博識に触れるたびに私の脳裏にオウムが表れてしまうのです。 中沢氏のオウム擁護はとても惜しいのです。そしてそれは、消えることのない事実なのです。

龍村式 指ヨガ健康法 について/その2

先日の龍村式 指ヨガのトレーニングをしたことをブログで述べましたが、その後、知人に著書をいただいたので、その紹介をかねて、続きです。

いままで、針灸のツボなどについてかかれてある書籍を何冊か読もうとしたことはあるのですが、やはり、難しい。東洋医学ということで、漢字も難しいし、経路などは記憶は不可能でしょうなどとは思っていました。で、前回の龍村式指ヨガでは、そのような難しい経路などは関係なく、指のツボを教えていただきました。

ホリスティック医療などとよく言われますが、体のパーツ、それは実はすべて、体の全体を包含している。いまはやりの言葉を使うとフラクタルである。なにをいいたいかというと、指は体の縮図であるということです。足は体の縮図ですといってもいいのですが、とりあえずはここでは指です。関係をあらわした写真を書籍から紹介します。

たとえば、首筋のこり、痛みについては、(本文P54-55)

考えられる直接的な原因の一つは、頸部のゆがみです。また、足の長短や、骨盤や背骨のゆがみの結果として、首にゆがみがでている場合もあります。首が左右や前後に傾斜したりねじれていると、筋肉も硬くなり、気の巡りが悪くなります。首のゆがみからくる筋肉の疲労や緊張、血行不良を解消しましょう。

●施術するポイント:中指の爪に近い方の第一関節から第二関節の間が、相応します。

●施術の方法・その一:中指の第一関節と第二の間接を、左右に息を吐きながら回します。両手、または片手だけでもOKです。

●施術の方法・その二:中指の第一関節と第二関節の間を、手の甲側からもんだりこすったりします。首の後ろの右側がよりこっている場合は、押さえたときに真ん中より右側が痛い場合が多いです。両手、または片手だけでもOKです。

経路などを記憶することもなく、手や指を当てて、痛いところをもんだりこすったり押さえたりすればよいわけです。

瀧村先生に聞いたところ、痛いところがいわゆる「ツボ」ということです。そして手や指を当てて、痛いところをもんだりこすったり押さえたりするのはなぜかというと、痛いのをより強く感じるためです。痛さを感じれば、それが癒しにつながるというわけです。痛さがなくなれば完治ということです。

顔をなくした女 /大平健

顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理読みました。この本は、ドキュメンタリー心理ミステリー集とでもいいましょうか。著者の大平健さんは、診療室にきた赤ずきん―物語療法の世界を読んでファンになりましたが、この本も楽しく読ませていただきました。

私は、小説はほとんど読みません。特に、ミステリーは全く読まないと言っていいでしょう。つまらないトリックや謎解きにはしらけてしまうのです。ミステリーを読む暇があったら自分を生きていた方がよっぽとおもしろい。同じように、賭け事も、ゲームもやりません。自分の生活の方が遙かにおもしろいからです。事実は小説よりも奇なりといいますが、まさにその通りだと思います。

つまらない人生などはありません。ただ人生の見方や評価がつまらないだけです。もしあなたがつまらない人生を送っているとお思いなら、もしくはゲームや賭け事が楽しくて仕方ないというのなら、診療室にきた赤ずきん―物語療法の世界顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理などの大平健作品はいい参考書になるかもしれません。

表題の「顔をなくした女」は特に秀逸でした。人生の見方も、タマネギの皮をめくるように次から次へと提示されてきます。評価や謎解きが、物語の進行とともに深厚になっていくのです。30ページほどの短編だが、実に深い。

シュタイナーによれば、人間が死んでからすることは、過去の人生を振り返ることだといいます。単に振り返るのではなく、相手の立場から振り返ることもするとのことです。例えば、自分が殴った相手の立場から自分を振り返る。もしくは、自分が助けた相手の立場から自分を経験したりして、過去の人生を実に深く振り返るとのことです。

話がすこしずれましたが、事実の見方を変えてみるのもたまにいいいですよ・・・。