「往生要集」の著者、源信のターミナル・ケアは進んでいたらしい

60歳を過ぎたということも有り、最近は死に方について考えることが多くなったような気がする。昔は気にもしていなかった浄土宗や浄土真宗の西方浄土の話なんかに惹かれるようにもなってきた。何か月か前に読んだ本で、浄土教の基礎を築いた源信なんかは、かなり進んだターミナルケアをしていて、近親者のターミナルケアは、死に行くものが現世に執着をもつようになるので、近親者以外の看護が望ましいような教えしていたらしい。

そのあたりを読み直してみようと、今日は時間をかけて本棚を弄っていたのだが、目的の書物が見つからなかった。確か、寝たきり老人や、植物人間とのコミュニケーションについて語っていた本だと思ったのだが、題名も忘れているのだからしようがない。いずれ、時期が来たら現れるのだろうと思うことにした。

代わりと言ってはなんだが、生、死、神秘体験―立花隆対話篇に浄土教についての似たような記述があるのに気づいた。なかなか面白かったので、ご紹介。

臨死体験が語るもの

立花 今度、「文藝春秋」に三年近く連載した「臨死体験」という作品が完結するんですが、これはおそらく、僕がこれまで書いてきたものの中で、いちばん読者の関心が高かったように思うんです。僕自身、そのあまりの反響の大きさに、ややとまどっているといった状況なんですね。

臨死体験へのそういった関心の深さというのは、人がやはり死というものをいろいろな意味でかなり強く意識している.そういう時代背景があるんじゃないでしょうか。一つには世紀末ということもあるだろうし、高度医療化時代を迎えて、脳死間題、尊厳死問題、ガンの告知問題などを通じて、みんないやおうなしに死の問題を考えざるをえなくなったということもあるだろう。あるいは環境聞題で、地球の死というような終末論的状況を考え蔽ければならなくなったということもある。

先生には取材の段階で平安末期の浄土信仰や「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」という念仏結社について教えていただきましたが、あの時代がやはり、末法思想という一種の終末論が流行った時代ですね。

山折 そうです。

立花 ちょうど社会体制も平安から鎌倉へと移行する大転換期で、社会経済的にも、いろんな混乱があり、やはり人が死というものを強烈に意識せざるをえない状況があった。その中で、死んだらどうなるのか、死んだあと、極楽浄土へ行くにはどうすればいいのかという関心が非常に高まったわけですね。

山折 そうです。日本では死後の世界の概念がつくられていくうえでは、やはり浄土教の影響が大きかった。この浄土教というのは、もちろん元はインド仏教の一派なんですが、とくに人間の死後の運命、人は死んでのち、どこに「往生」するかということについて考察をめぐらせた一派です。その浄土教が日本の民衆のあいだに浸透していった時期が、だいたい平安の中期から末期.『源氏物語』が書かれた時期になります。そのころ、比叡山に源信(九四二~一〇一七年)という僧が出て、『往生要集』という本を書き、日本の浄土教の基礎を築いた。これはいわば死のためのテキストで、地獄や極楽のイメージ、極楽往生のために行なうべき信仰生活について詳しく説いたものです。一般の人々にも広く読まれ、その後の日本人の地獄観、極楽観の形成に決定的な影響を与えています。

この本を書いたあと、源信は実際に念仏結社をつくって、極楽往生のための実験を行なうわけです。同志たちと毎月一五日の満月の日に集まって、徹夜で念仏を唱えた。この結社には、二五人の人間が集まったので「二十五三昧会」という名がつきました。
彼らはメンバーの中の誰かが病気になって死を迎える段階になると、その病人を「往生院」という特別の部屋に入れてやる。そして仲間のうち二人がつきっきりになって、二四時間体制でいっさいの世話をした。いまでいうホスピスのようなことをやったわけです。

立花 それで、死んでいく人が本当に浄土へ行けるのかどうかを確かめるために、病人の耳に口をつけて「いま何が見える?」と聞いたりしたわけですね。そしてその人物が見た最後のビジョンを記録した。

山折 そうです。その記録はかなり残されていて、それを読むと「真っ暗闇だ」と答えている人がいるわけです。「地獄の業火みたいなもの述身に迫ってきて苦しい」と言っている人もいる。しかし、中にはやはり「極楽が見えている」とか、「阿弥陀如来が自分に近づいてきている」とか、今日言うところの臨死体験的なイメージを見ている人がいるんですね。

立花 そういう記録からみると、やはり臨終の床で、ほとんどの人はそういうビジョンを見るということが言えるんでしょうか。

山折 というより、彼らのは念仏結社ですから日常的な修行をやっているわけです。その修行の最終的な目標は、死ぬときにいいイメージを見て死にたいということだった。そのための修行であり、その修行に成功した人はいいビジョンを見ることができるということだったわけです。
それは二十五三味会だけでなく、同時代のほかの修行者たちも同じです。死ぬときに良きビジョン、つまり極楽のイメージを見て死ぬためには、それ相応の身体訓練をしなければならないという自覚があった。それで、お経を読んだり、山を歩いたり、写経をしたり、禅を組んだり、いろいろなことをやる.そして、いよいよ自分の寿命が尽きた、あと一カ月かニカ月で息を引き取るかもしれないということを悟ると、穀断ちをする。五穀を断って木の根・木の実のみを食べる木食を行なって、白分の体を枯れ木のような状態にしていく。そして、もうあと一日かそれぐらいで命が尽きるというときに、完全断食の状態に入っていくわけです。
そうすると、人間の生理というのは非常におもしろいもので、無限に死の状態に近づいたところで、ある種の生命力の反発のようなものが起こるのか、ビジョンを見る。そのビジョンの多くが「阿弥陀如来が現われてきた」とか、あるいは「極楽が現われてきた」というものです。そして翌日息を引き取る。つまり生命の限界ギリギリのところでそういう現象が起きることを彼らは経験的に知っていたということですね。

立花 その時代の人たちは、そのイメージというか、ビジョンというものを、どう考えていたわけですか。そこで見ているものは単なる視覚体験ではなくて、本当に浄土世界そのものである、つまり人が死んだあとの世界そのものを自分は見ているんだという意識があったわけですか。

山折 この世からあの世へしだいに近づいていって、そして浄土のビジョンを見たのだという確信を持っていたでしょうね。

立花 断食鞍どを経て、自分を枯らして死んでいくというやり方は、空海の入定もほとんど同じですよね。それから、時代が違うけれども、東北の出羽三山で断食してミイラになっていった僧侶たちも方法的には同じですね。

山折 そうです。

立花 そういったケースは知られている以外にも前からあって、その過程でそういうビジョンを見た経験の伝統が極楽浄土のイメージをつくっていったということがあるんでしょうか。

山折 いまおっしゃった出羽三山の即身仏のように、土に穴を掘ってそこに入って断食をする土中入定というやり方のほかに、薪を積んだ上に自分が乗って、自分で火を付けて焼くという、火葬の模倣のようなやり方もありました。それから、水中に身を投げて死ぬという水中入定みたいなものなど、いわば異常な状況をつくってその中で往生=死を迎えるというやり方は昔からずいぶんあったと思います。中国にもそういう例はたくさんあります。

立花 修行者たちがそこまで過激なことをするというのは、それが本当に極楽往生につながるという確信がないと、とてもできることではないですよね。そういう確信はどこからきているのか。たとえば土の中に入ってミイラになったお坊さんが、中で自分がどういう状態にあるかを外の人に伝えたというような記録はあるんですか。

山折 それは本人というより、最期を見届けた人々の記録が主です。死んでいく人が直接生き残った人に伝えた例というのは、さきほどの「二十五三昧会」ぐらいだと思います。秘伝の形で口から口へ伝えられた話はたくさんあるだろうとは思いますけれども。

立花 日本の古い文献を読んでみますと、臨死体験の記録というのは昔からずいぶんたくさんあるんですね。

山折あります。

立花 日本だけじゃなくて、外国の文献にも、たとえばプラトンの国家篇なんかにもちゃんとある。ああいうものを読んでいくと、臨死体験というのは、世界のいろいろな宗教の原体験として昔から、非常に大きな意味を持っていたのではないかという気がします。死にかけて生き返った人というのはいつの時代にも必ずいるわけで、彼らは白分の体験を現実のものとして人に語る。それがあの世のイメージをつくり、また、それを含んだコスモロジーというか、世界解釈をつくり、それが宗教を成立させていった。つまり宗教の原体験の一つとして、臨死体験は人類文化において非常に重要な意味を持っていたんじゃないかという気がします。
以前、取材でもうかがったんですが、先生ご白身が、やはり死にかけたときに臨死体験に近いものを経験なさってますよね。そのときの体験と、それが精神に与えたインパクトというか、世界観の変化というものを教えていただけますか。

山折 私自身の体験は、はたしてそれが臨死体験であるかという間題もあるんですが、それはひとまずおくとして、私は学生時代に十二指腸潰瘍をやって胃袋を三分の二、切っているんです。それから一〇年ぐらいたって、学生諸君と酒を飲んでいたときに、突然、大吐血をして、意識を失いました。バケツ半分ぐらいの血を吐いたと思います。
その意識を失う瞬間に、眼前に五色のテープをふき流したようなイメージが現われたんです。相当血を吐きましたし下血もしましたから、生命力がかなり衰えている状態でのことで
す。五色のテープをふき流したようなイメージの中で、白分の体全体がフワッと浮遊した感じがした。それが非常に快かったというか、気持ちがよかった。何か大きなものに吸い取られていく、そういう感じがあったんですね。
これはあとから思い出したことなんですけれども、「まあ、このまま死んでいくならそれでもいいか。これはなかなか悪くないな」ということを、非常に短い時間だったと思いますが感じておりますね。

立花 そのフワッとした感じの中で。

山折 そうです。何かに吸い込まれていくような心地よい感じの中でです。私の場合は臨死体験といっても、それがすべてでして、気がついたら病院で横たわっていました。その後三カ月間、入院したんですが、点滴をしながら一〇日間ぐらい絶食をしました。すると三日目、四日目あたりまではものすごい飢餓感に悩まされたのに、不思議なことに、五日目、六日目になると、気持ちが非常に澄んでくる。五感鑓非常に鋭敏になってくるし、体全体が軽やかに感じるんです。

立花 それは一種の断食体験に近いことなんでしょうね。

山折 そうです。それでベッドの上で、なぜこんなに自分の生理が変化したのかと思っていたところ、フッと思い浮かんだのが、さきほど言いました「二十五三昧会」という、平安末期の念仏結社の人々の体験だったわけです。彼らはなぜ修行の最後の段階で断食なんていうことをやったのか。それはやはり最後の最後に死を乗り越えるためのイメージが欲しかったからではないか。
それを自らの体験と重ね合わせたときに、人間というのはひょっとすると、生命が非常に衰えたとき、危機的な状況に追い込まれたときに、ある生命の反逆作用が起こって、超日常的なイメージを眼前にする。そういう現象が起こるのではないか。そう思いまして.私の人間に対する考え方とか、大きなごとを言えば、世界観がガラッと変わったわけです。自分自身の肉体がまさに研究対象になるといったらいいんでしょうか、そういうことを実感しました。

立花 そのときまでは「死んだらどうなる」と思っていたんですか。いっさい無だと思っていたんですか。

山折 それまでは無神論者ですよ。観念的な無神諭者というのかな。死は無に帰することであるという近代ヨーロッパの考え方を受け入れていたと思いまずね。ただ、いまから思うと、それはやはり首から上の知識だったような気がしますけれど。

立花 それがその体験を機に、考えが変わるわけですか。

山折 ええ。それまで私は、死後のことを積極的に否定していたわけです。実在するかしないかということで言えば、とても実在するとは思えなかった。しかしその体験があってからは、確かに証明はできないかもしれないけれども、たとえフィクションとしても死後の世界というものを考えたほうが、人閻の生き方というのは豊かになるのではないか。そういうふうに感じるようになりました。 (32ページ~39ページ)