人生讃歌―愉しく自由に美しく、又のびやかに 美輪 明宏 , 斎藤 孝

人生讃歌―愉しく自由に美しく、又のびやかにを読みました。期待した割にはおもしろくなかったな。交換日記のようなつくりで、対論なのか対談なのかどうにも中途半端だ。対談をしたのだが、文字にするとおもしろくないので、若干手を加えて、対論にしたように思える。その結果、対談の臨場感もなければ、討論の緊張感もなく、どうにもおもしろくなかった。

とはいえ、気に入った箇所はあるので、ご紹介。ことばの使い方といおうか、美輪明宏氏が差別用語の問題点を指摘した箇所だ。

(p212-213)・・・ほんとうに狩らなければいけない言葉は、たとえば「いじめ」や「万引き」という言葉です。「こういう言葉を使いなさんな」と言っているんです。
「万引き」と言ったら、「たかが万引きぐらい」といったように、まるで単なる悪戯のようなニュアンスがあって、「許してもいいんじゃないか」という感覚があるんです。実際は、「万引き」と言えば、「窃盗」なんです。だから「泥棒」と言えばいいんです。
「あいつ万引きしたんだよ」と「あいつ泥棒なんだよ」と言うのとでは、響きもニュアンスも全然違うんですよ。
「泥棒」と言われたらいやだから止めるんです。誰でも「泥棒」とか「犯罪人」と言われたくない。ところか「万引きやったんだよ」と言われても、「あそう」ぐらいですんでしまう。やっていることは本屋を一軒潰すぐらいの犯罪なんだから、やってはいけないことなんです。
だから、マスコミが「万引きという言葉を使いません」と、「泥棒」や「窃盗」という言葉だけに統一すれぱ、世の中から万引きがなくなるんですよ。
「いじめ」も同じなんです。「いじめをなくすにはどうしたらいいでしょう」という質問をよく受けます。それには、いつも「いじめという言葉をなくすことです」と答えています。
「いじめ」の方法もいろいろあります。「恐喝」「脅迫」「暴力行為」。こういうことは犯罪以外の何ものでもない。だから、「いじめ」などと言わずに、「恐喝」「脅迫」「暴行」という言葉を使えばいいんです。
それを「いじめ」という言葉を使ったら、「子どものいじめに大人なんかを挟むことはない」となるんです。でも本当は脅したら「脅迫」で、お金を脅しとったら「恐喝」、どちらも立派な犯罪ですよ。それを「いじめぐらい・・・・・・」ということがあるから、見逃したりするんです。だから「いじめ」という言葉を使わないことです。
犯罪を軽いと錯覚を起こさせるような、すり替える言葉がいっぱいあります。「戦争」という言葉もそうです。「戦争」と言ったら「大量殺人をやってもいい」という正当化するニュアンスがあるじゃないですか。だから都市も、人の持ち物も全部破壊し尽くしても、「戦争だから、仕方ない」ということになる
しかし、個人がそんなごとをやったらとうなるのかと言うんですよ。「大量破壊」、「大量殺人」なんです。

そもそも差別用語がよくないよね。「おし」、「つんぼ」、「きちがい」などだめで、「びっこ」なんかもだめ。言い換えて何が変わるのか、、いつも思うことです。